名著のすゝめ -9ページ目

自作の創作公開「羽衣幻想」





       第 二十一 回 目





 それから急に私の仕事のほうが忙しくなり、その慌ただしさは秋になるまで続いた。新米の私も

漸くこの仕事の面白さが解りかけて来たのであろうか、結構骨身を惜しまず、時には夜を徹して仕

事に打ち込んだのである。家具屋の仕事というのは、肉体労働が主である。慣れない間は苦しかっ

たが、一度要領を飲み込んでしまえば、それが逆に楽しさに変わるのだ。酒の方も、自分でも吃驚

する程、急激に腕を上げた。バーやクラブに通う回数も多かったし、最初の頃は面倒で、苦痛だと

感じていたそうした家具屋としての生活も、案外自分の性分に合っていたのだと思える程になって

いた。自然、優子と顔を合わせる回数が減った。勿論、いつかの様に急に思い立って深夜の東名を

疾駆して、会いに行ったりしたことも何度かはあった。しかし、そういう際でも、大抵はアルコー

ルを帯びていた。そんな時、優子は私が事故でも起こしはせぬかと、ひどく心配する様子を示し

た。また、学生と勤め人の二役をこなさなくてはならない優子は、夏の盛りに休暇も取れずに、疲

労が少しずつ、細い体に蓄積されていくようであった。秋も大分深まってから、私は仕事の上でや

っと一息つけるようになった。土曜から日曜にかけて、久しぶりに優子の部屋に泊まりがけで会い

に行ったが、真っ黒に陽灼けして、肩から胸の辺りに逞しい筋肉がついて見違える程逞しくなった

私とは対蹠的に、優子は益々病人のように蒼褪め、痩せこけていた。それでも私の顔を見ると、元

気そうに笑顔を作る優子が不憫だった。一度、お医者さんに診てもらったほうがいいと勧める私

に、昨日から月のものが始まったせいもあるのだと、殊更優子は元気そうに振舞って見せた。


 翌日の日曜日は朝からどんよりとした曇り空であったが、私たちは高尾山までドライヴした。何

となく、シーズンの紅葉狩りをということになったのである。麓からケーブルで登る途中の眺望が

良かった。晴れていたらもっと素晴らしかったろうと残念だった。ケーブルを降りて霧の中を歩く

裡に雨になった。しばらく茶店で休んでいると直ぐ止んだが、霧は一向に晴れようとしない。それ

でも二人は霧の海の中を並んで歩いた。時々、若い恋人らしいカップルと擦れ違ったが、彼らは一

様に怒った様に押し黙っている。私たちも同じような表情をしているのかと、改めて優子を見た私

の視線を、心なしか愁いを含んだ彼女の漆黒の瞳が、見返している。その時、突如私の胸にもやも

やした不安の感情が萌した。気が付くと、その不安は周囲の樹林の間から湧き出してくる乳白色の

濃い霧のように、いつの間にか私を完全に包み込んでいた。私は霧に閉じ込められ、道を失った昔

の旅人の如く、強い困惑に陥っていた。私はその不安の正体を突き止めるのを惧れながら、優子の

口から恐ろしい言葉が洩れる瞬間が一歩、一歩近づいている予感に怯えていた。が、その日は、何

事もなく終わった。


 年末の繁忙期を直ぐ後に控え、十月の中頃から私の仕事は再び多忙を極めるようになっていた。

仕事の忙しさの中で私はその不安を、忘れるともなく忘れていた。それでも、年末から年始にかけ

ては比較的頻繁に、二人がデートを重ねた時期であった。特にクリスマスイヴの日と、正月の二日

の日は優子の方が静岡の私の家に遊びに来て、泊まって行った。クリスマスイヴの晩には、名古屋

に嫁いでいる四歳上の姉が赤ん坊を連れて来合わせていたので、期せずして賑やかなパーティとな

り、我が家としては珍しい華やいだ雰囲気が、家中に横溢した。女子高で数学を教え教頭をしてい

る陰気な親父までが、どうした風の吹き回しなのか、いつになく陽気で、飲みつけないワインなど

を口にして、顔を赤くさせていた。母の方もやはり上機嫌で、優子に始終話しかける気遣いを示し

た。私は優子との仲が家族全員から認められ、祝福されていると感じ、心の底から嬉しかった、

優子もきっと同じ思いであろうと、勝手に想像しながら。元旦に届けられた年賀状の中に栗田和枝

からのものが混じっていた。何気なく自室の机の上に一枚だけ置いてあったのを、翌日に年始がて

ら遊びに来た優子が、目に止めていたのである。翌日、静岡駅のホームで上りの「こだま」を待っ

ている際に、「あの年賀状の方、お綺麗な女性(ひと)なのでしょうね」、ポツンと、なんでもな

いことを訊くように、優子が言った。





自作の創作公開「羽衣幻想」




          第 二十 回 目






その日も、富貴寺を始め、幾つもの寺々や大小の磨崖仏を見て回った。昼過ぎ、優子が思い出し

たように、ある寺の名前を口にした。その寺が秘蔵する何体かの仏像を見たいと言うのであった。

ガイドブックに依ると、さして混みいった路順でもないのだが、小一時間程探しあぐねて、やっと

その寺を発見し、優子が望んでいた仏像達に接することが出来た。普段はめったに見学者が現れな

いそうで、古びた仏壇の裏にある、埃っぽい木の扉の内側に蔵められていた。年配の、坊主らしく

ない住職が、珍しい参観客に気を良くしたものか、一つ一つの仏像にロウソクの灯りを当てなが

ら、長々と私たち、特に優子に対してその来歴などの説明を聞かせる。青銅で鋳造されたものだと

言う五体の仏像は、皆、観音像であるらしく、それぞれに異なった味わいを持つ、見事なものであ

った。中でも中央のものは、逸品中の逸品だと住職が力を込めて語るように、素人の私にも、確か

に傑作だと首肯出来た。全身の優美な曲線と殆どエロティックな程の艶めかしさを湛えた表情は、

それでいて決して上品さを損なわない。私は思わず、その時熱心に老住職の解説に耳を傾けている

優子の横顔を窺っていた。暗がりの中に陰影を際立たせて、仄かに浮かんでいる、優子の顔…、そ

れは今、彼女が見ている仏像その儘の顔であった―。


 この国東半島に足を踏み入れた時から感じていたことであるが、この地の女性の顔付きは、崖に

彫られた石仏の顔立ちに誠によく似通っていた。豊頬明媚と言うのであろうか、どこか大陸的な印

象を与える、大らかさが特徴であった。白鳳期の美人も豊満な魅力が売り物だったように記憶する

が、そのゆったりとした美しさは、目の前に生身の生きた同時代人として接するとき、ひときわ感

動的な、新鮮さとなって私に迫ってきていたのであるが、この寺の観音像だけは、全体に細っそり

とした、従ってお顔の作りも瓜実顔に近い細面なのである。優子自身はどのような思いでこの古仏

に対しているのであろう…。その横顔からはどんな種類の感情も読み取れなかった。が、私はふ

と、この国東の地に優子が何が何でも来たいと欲していた、真の理由が判ったような気がしたもの

である。煤を被った様に古色を帯び、荒寺の奥に端座しているこの仏像が、優子を呼んでいたの

だ、と考えて―。その空想が正しいとすれば、優子に伴われてやって来た私の存在は、観音たちに

よって歓迎されているのか否か…、私はただ、取り止めのない感慨に耽りだしていた。


 伊美という所で更に一泊した後、私たちはその九州旅行からの帰途についた。帰りは東京までフ

ェリーを利用し、優子をアパートに送り届けると、私は一人静岡に帰った。


 それから急に私の仕事のほうが忙しくなり、その慌ただしさは秋になるまで続いた。新米の私も

漸くこの仕事の面白さが解りかけて来たのであろうか、結構骨身を惜しまず、時には夜を徹して仕

事に打ち込んだのである。



自作の創作公開「羽衣幻想」




          第 十九 回 目





  私は、いつもの短い寝床での抱擁を終えて、自分の布団に戻ろうと身を起こしかけた。その

時、優子の細い腕が暫時私の首に纏わりついて、離れようとしなかった。しかし優子のその動作

は、当時の私には、何事も語らなかったのである。私はここでも再度繰り返さなければならない、

それ程までに私は優子を 熱愛 していたのだと


 翌日の日没前に、私たちは関門トンネルを通過して、九州へ上陸した。初めて目にする九州の風

物が珍しかった。佐賀市内を足場にして、唐津城の見事な藤の花、有田の陶器市、ムツゴロウで有

名な有明海の泥海、柳川の水郷風景などを、優子の案内で見て回った。優子が自分の実家に泊まる

ように熱心に勧めたのだが、私はこの方が気が楽だからと、料金の安いビジネスホテルに宿を取っ

た。優子の両親は見るからに温和な、人の善さそうな中年夫婦であった。また優子が自慢している

高校生の弟の隆は、いかにもスポーツ青年らしく、明朗で素直な性格に感じられた。


 こうして佐賀市で三泊した後、私たちは予定通り大分県の国東半島に向かった。私たちが旅に出

てから、一時的に雲が広がることはあっても、また直ぐに晴れて、殆ど快晴の日が続いていた。こ

の日もまた、朝から気持ちの良い青空が望まれた。九州北部を西から東に向かって三時間あまりで

横断し、半島の付け根部分に位置する宇佐八幡に立ち寄り、近くの百羅漢を見た。優子は高校生の

時から行きたいと憧れていた土地だと言うだけに、旅行者用のガイドブックに頼りながらではある

が、寺などの名所や磨崖仏などの観るべき物のある場所へ至る道には詳しかった。

山と石の半島は、舗装された道路が少なく、またどの道も起伏が激しいので運転には骨が折れた

が、車を降りて急勾配を登り、鬱蒼たる樹林の奥に巨大な磨崖仏が聳え立っている様を目にした際

の感動は、そこまで足を運んだ労苦を一瞬にして忘れさせるに足る、圧倒的な迫力を持っていた。

 その夜は、前日に優子が電話で予約しておいた龍岩寺に泊ることになっていた。途中で道に迷

い、何度も人に教えられて、目指す山の上の寺に着いたのは、もう大分遅くなってからであった。

その日の泊り客は私たちだけであったが、住職の奥さんらしい三十歳前後の女性が、親切にお風

を勧め、真心のこもった食事を運んでくれる。つい調子に乗って、ビールを注文した時も嫌な顔を

せずに気持ちよく応じてくれ、スルメなど焼いて出してくれた。恐らく住職の晩酌用のを分けて出

してくれたのであろう。食事が終わったら食器は廊下に出しておいてください、お床は次の間に延

べてありますから、ごゆっくりどうぞ、とその女性は笑顔で言い終わると、奥の方に去った。少々

古ぼけた寺で、畳なども新しくはなかったが、いかにも民宿らしい素人臭いサービスが、却って気

持ちよかった。やがて空腹が満たされ、昼間の疲れと二人して3本空けたビールの酔いが、心地よ

く全身に行き渡り、一種の軽い陶酔感が私と優子を包んでいた。

 その夜、私と優子は再び結ばれた。優子が最初、いくらか積極的な様にみえたが、途中からはも

う私の激しい愛撫が、優子の攻勢を遥かに凌駕していた。弱々しい蛾の羽が障子を微かに打つ音が

耳に達していたが、それを打ち消すような激しい雨音が、襲ってきた。雨は明け方までには止ん

で、その後はからりとした晴天であった。昨夜は暗くて気がつかなかったのでが、今朝見ると境内

のあちこちに美しい躑躅の花が咲き乱れている。東側の洗面用の蛇口のある庭の隅には、紫陽花が

露に濡れて、初々しく私たちを待っていた。それにしても、昨夜、私は何故、ああ易々と自分の 

戒律 を破りえたのか?不思議であった…。極めて自然に、何の抵抗もなく移行出来たし、無理に

行為を中断することは、優子に対する背信の様な気が、瞬間的に、私の頭を掠めたのを記憶してい

た。あれは、しかし、錯覚にしか過ぎなかったのだろうか…。もしそれが背信だとすれば、私は既

になんどかその罪を犯しているではないか。― 私は、それ以上自分自身を深追いしなかった。そ

れは、何とも素晴らしい夢のような出来事だったのであり、また、今朝の実に爽やかな目覚めを伴

っていたのだから。