堀田城C | えいきの修学旅行(令和編)

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C

 Cは、A・Bとは、やや様相が異なります。主郭C3南西隅には櫓台状の高まりを設け、壁高く堀切を睥睨します。その堀切は城外側に土塁を沿える形状です。

 また、佐伯先生は、土橋の前の小曲輪4,5は、前面を堀切で遮断していないため馬出とはいえないが、馬出の効用を兼ね備えた小曲輪と評価しています。

 

C南西

主郭3直下、土塁を沿えた堀切が遮断する。

 

前面土塁

対面、3南西隅が高くから睥睨。

 

堀底

 

堀が深いので前面土塁は胸壁運用ではない

 

西

 

東の土塁は、身が完全に隠れるほど高くはない。

また、3東切岸下には腰郭がある。

 

3東切岸下腰郭

竪堀が通行を制限する。

竪堀の奥には東尾根馬出運用の小平坦面4。

これは後で

 

竪堀

堀底と、一旦停止するこの辺りは、壁上3の監視がきつい。

 

振り返り、堀切

 

見上げると壁上に3南西隅

 

登っちゃいましょう。

 

3南西隅

盛られており、佐伯先生は櫓台とする。

 

盛土上から堀切を俯瞰

 

堀底東部と腰郭竪堀手前付近

 

 

南西からC主郭3

 

郭内から盛土

 

北に二段続く

 

北部

 

北部突端

 

北端直下

壁下に堀切、土橋、小平坦面5(馬出効用)。

ここをどう接続したか

綱か梯子か。

 

土橋

 

斜から

 

5先端

堀切では守られていなが、切岸で壁をつくる。

 

振り返る

 

北東限の堀切を目指す

 

これだろう

 

 

ラスト、東尾根馬出効用小平坦面4

 

馬出効用小平坦面4、土橋、後背壁上主郭3

 

上から

 

右(南西)に竪堀(先掲)

 

土橋

先に4。

 

4先

両竪堀、ミニ堀切がある。

 

両竪堀のあいだの土橋

 

東限のミニ堀切

 

 神代城、堀田城のような馬出効用小平坦面は、新川郡の水尾城、元屋敷城、横尾城、八尾の大道城にも存在し、佐伯先生が上杉氏の馬出として捉える構造(※)の小型類型のように私には思える。腰郭の竪堀、土塁の運用があることにも注目したい。

 

おまけ

 水尾城馬出効用小平坦面

 

 ※水尾城 佐伯哲也(2012)『越中中世城郭図面集Ⅱ』、桂書房、p.42

   元屋敷城 同前、p.4

   横尾城 同前、p.6

     大道城(上杉氏の技術指導) 佐伯哲也(2011)『越中中世城郭図面集Ⅰ』、桂書房、p.18 

 

 引用資料

 富山県埋蔵文化センター(2006)『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』

 

 参考文献

 佐伯哲也(2013)『越中中世城郭図面集Ⅲ』、桂書房、pp.44-5