堀田城概要・A(富山県氷見市堀田) | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

 前記事・神代城に近接する飯久保城と堀田城のうち、飯久保城は他の方の記事があるで、堀田城のほうをABC三編構成でこってり書いておきます。写真は、2020.12、2021.3撮影です。

 

堀田城

 

堀田城縄張図

 縄張図を富山県中世城館遺跡総合調査報告書(1)より引用し、ブログ説明のため茶番号・線を加筆した。

 A、B、Cの小城郭から構成される。なぜかお互いにも堀切で遮断しあっている。

 ただし、佐伯先生(2)はA-B間の尾根は郭状に加工してあると見、AとBは、Cよりも強い結びつきを指摘している。

 もう二点、佐伯先生の指摘。

 土橋の前の小曲輪4、5は、前面を堀切で遮断していないため馬出とは言えないが、馬出の効用を兼ね備えた小曲輪と評価している。

 伝承、古記録とも残っていないが、永禄末年まで在地土豪堀田氏の城郭として使用されていたことが縄張りからある程度推定できようとしている。

 

 

A

 

南尾根の遮断堀切

 

二度目に挑戦で到達。

来た甲斐あった。

この堀切は城内側上端に土塁を盛る。

 

堀城内側上端に沿う土塁

神代城とは異なり、土塁の運用がある。

 

一旦おいて、切岸上がA1

両脇に竪堀を降らせ、回り込みを阻止。

佐伯先生は右回り竪堀竪堀対岸に櫓台と城戸を推定している。

 

左(西)竪堀

 

A1壁

 

東の竪堀

もう一枚

 

東は、竪堀対岸に小櫓台があり、佐伯先生はA1切岸下際に木戸を推定している。

城内の腰郭は東辺縁に土塁を備える。

 

櫓台

 

A1東下腰郭

東辺縁(右)に土塁が沿う。

腰郭東塁線土塁

(写真、よくわからん…)

 

さらによくわからんが、北東尾根続きB方向

味方の城同士だろうが、堀切で遮断する。

堀切と主郭A1との間はだらだらで、堀端に平場を置く。

A1は出入口が明確でないので、平場経由が導線か(後掲)。

 

平場からA北東限となる北東尾根堀切

B編ではここから行く(後再掲)。

 

 

A1

 

南がやや低い

 

南下方

両側の際に先掲の竪堀

 

南東下方の木戸を俯瞰…

 

東下方は急傾斜で造作なし

 

北下方の腰郭

北越郭は北西尾根まで伸びる

 

北西尾根

堀切で遮断。

 

北西尾根尾根筋は削って加工か

 

そして堀切で遮断

堀底

斜から

 

 

A1へ戻り北東尾根B方向

 

A1北東

だらだら降り平場を置き、平場先に北東堀切。

 

一旦平場

 

北東堀切

 

堀底に土橋痕か

 

堀切を越え北東尾根

約21mでB城域。

佐伯先生は、このAーB間の尾根を郭状に加工していると見ている。

 

堀田城Bへつづく。

 

振り返りA

 

 註

 (1)富山県埋蔵文化センター(2006)『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』

 (2)佐伯哲也(2013)『越中中世城郭図面集Ⅲ』、桂書房、pp.44-5

 

登り口

 

361の三叉路南が広い。

 

集落を東に進み、ワンちゃんのお家の方に許可を得て農道へ入らせていただいた。

 

農道奥から鉄塔へ至る路がある

ワンちゃんから6分。

 

鉄塔

取りつきから6分。

 

鉄塔から北へ尾根どうしに4分でA南堀切に至る