2019修学旅行初め | えいきの修学旅行(令和編)

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 2019修学旅行初めに、東濃ー遠江ー三河ー東濃を駆け巡ってきました。

一日目

空手のクラスがまだ始まっていないので、お昼まで仕事して恵那へ急行、日暮れ前の天王山砦に駆け込む。
今回の一連の修学旅行は、ある構造の計測が目的。
天王山砦は、狙った構造の計測と、宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版の記述をうけて導線の確認。横堀から北へ掘り下げた竪堀が導線で、横堀線への入りに石積の関門と枡形様の空間を設置していた。6年前の私の目など、節穴。
 天王山砦を済ませ、愛知県を引っ掛かけ、遠江菊川まで移動。菊川に泊。先月、浜名湖畔の三ヶ日で食べれなかったウナギを、浜名湖SAならあるだろうとSAに立ち寄る。あったが値段に慄(おのの)く。三ヶ日の日常生活スーパーにないわけだ。中位のうな重(といっても3000円クラス)を食べたが、この値段にはつりあわないと思った…。

二日目

夜明けとともに堀田城。次いで三遠境に移動し、五葉、月ヶ谷、宇津山城。
宇津山は藪がきつくなにがなんだがわからなかったが、他は収穫有り。三ヶ日図書館で収蔵を確認しておいた文献をコピーし、新城に泊。

三日目、0640新城発。夜明けとともに作手入り。和田、亀山、古宮、川尻、菅沼城。松平城を引っかけて足助に北上、城山城。城山城は発掘調査から期待していったのだが、藪酷S級で主郭出入口以外は、ちんぷんかんぷん。時間もとってしまい、飯盛山は今回は捨てて、千ノ田城へ。懐かしい。感傷に浸っている時間ももったいなく、この一ヶ月で三度目の名倉へ急ぐ。鍬塚、寺脇、清水城。鍬塚に山の神がおられるのであれば「おまえ、またきのか」と思われているであろう。東濃へ急ぐ。漆原の城山砦へ。日暮れが迫り、無理かと思いつつも明智を目指す。東濃は信濃ほど狭隘ではないからか15分くらいは日照が長いようで、明智も計測できた。1642明智終了。この日は13城を駆け巡り、我ながら凄い(アホか)と思った。
 恵那から中央道、長野道、姥捨てで善光寺平の夜景を目にすると帰還を感じる。ラスト1時間上信越道を駆けて、2124無事帰還。
 晴天の遠三濃信とは打って変わり、越後はもちろん、雪でした。


イメージ 4天王山砦 放射状竪堀
















イメージ 5宮坂先生の記述に拠れば、この横堀の北端からの竪堀掘下げが導線という














イメージ 6竪堀掘下げとの接合部

枡形様空間を置いて、両脇を石積で固めた関門である。

6年前の私の目など、節穴同然。









イメージ 2東側石積


















イメージ 3西側石積


















イメージ 1竪堀下方から見上げる
















イメージ 7竪堀下方から北斜面を東鞍部の堀に繋がる
















イメージ 8遠江堀田城


















イメージ 9私のテーマよりは古い印象でしたが、遺構よく残り、いい城でした















イメージ 10月ヶ谷城

出入口の折れが明瞭。














イメージ 12宇津山城

昨年来、浜名湖魅了されている。













イメージ 11しかし、東城域は藪が酷くよくわからない…














イメージ 13足助城山城も酷かった

主郭出入口は良くわかった。












イメージ 15鍬塚

この一ヶ月で二度来た












イメージ 14寺脇は四度目
















               くどくは書くまい

イメージ 16日暮れが迫る明智城
















イメージ 17赤マークが2019修学旅行初めに駆け巡った城