福平城の詰め城とされ、北西約1.3km、標高1199m、比高230m(荒倉キャンプ場から)の山上にある。
ズーム
比高200m超の高く狭い山上だが、しっかりと手が加えられた堅固な砦である。
郭・堀名は宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂2)に準拠し、おおよその位置に書き込んだ。
大築城概念図
宮坂2を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。 記事中測値も同書に拠る
ごちゃごちゃ書かず、写真でいきましょう。
郭2から主郭1
ごちゃごちゃ書くまい。
郭2から堀イ、主郭への導線
イ西掘り下げ
この付近2内に石の集積有り。投石用か。
石の集積
イを縫い
1へ入るが
この縫うイ導線は主郭郭内大岩上が強固な櫓台状に監視している。
主郭南東隅
大岩群が頑強に侵入を拒み、かつ強固に監視する。
堀イは南東に約40m掘り下げられている
主郭出入口
岩塁が出入り口脇を固めている。
うい
主郭内。
北東隅大岩高所がこの出入口を監視している。
北東隅高所
この砦の構築者は只ならぬ侍であろう。
高所から出入口を俯瞰
南東尾根
岩塁線・出入口・堀イ・郭2。
東塁線
岩塁下急傾斜。
西側
急傾斜面には備えは不要だが、南西尾根筋には帯郭状の小郭(石の集積有)、土塁を付けた小郭が置かれ、備えている。
南西尾根筋
投石で迎え撃つか。
主郭西急傾斜面
北西隅大岩をくくる堀込み
上は北尾根筋で堀ウが遮断する。
北側
堀ウ。北尾根はウ、エ、二重に堀切っている。
北尾根
堀ウ、エの二重堀切間に小堡塁を置く。堡塁北北東下に一本竪堀を設け回り込みを阻止している。
堀ウ
堡塁から堀エ
竪堀
エの下の岩下方、鞍部からの北は岩山で、宮坂先生でさえ「侵入はできない」としている。
北方岩山
南東尾根と登り口
もう一度主郭南東隅岩上から南東尾根(再掲)
郭2は土塁が囲う
南東に天水溜のような窪みがある。
南東の窪み
宮坂先生は「天水溜であろうか」としているが、天水溜であろう。
傾斜下方約25mに堀ア
アの前後は段となっている。
アは東(左)に約15m、西(右)に約23m掘り下げ、回り込み妨害している。
また東には畝状に三本、竪堀様な地形がある。宮坂先生は「自然のものであろう」としているが、私は人の手に拠る構築に思えた。
アの東堀下げに一条合流
私には人の手に拠る畝状空堀群に観える
堀ア
西掘下げ
堀ア前段から主郭方向
まとめ(感想)
大築城は、険しい山と岩の天険地だが、堀切、土塁などの城普請に手抜かりが無い。山、岩を巧妙に活かしつつ、堅固かつ美しくも仕上げられた名砦である。築城者は、たんなる山中の土豪ではあるまい。禅(臨済禅風の庭造形美を想った)などの修養を積んだ、一廉の侍であろう。
ここへ来てみたいと思った人は、
荒倉山キャンプ場から林道(舗装)をさらに入り、このミラーの裏あたりから登る
書くまでもないとも思うが、このようにきつい
途中、山道に遭遇するが大築城への道ではない。登る、登る、修行である。稜線に出たら右にまた登る。それが大築城域南東尾根。
私の足でミラーから堀アまで28分。
登りは登るだけなので迷わないが、下りは南東尾根を降ると途絶したり、ミラーの位置に降り着けなくなる。自分が南東尾根にでた地点に目印をしておいたほうが無難である。
途絶する南東尾根
表札?
高城の下見時、聞き取りではクーさんの居住は既定事項であった。
大築城は、まんなかの山です