古城(長野市戸隠宇和原稲置) | えいきの修学旅行(令和編)

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  古城

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     城歴に関し、詳細は不明である。
福平城の北東1.3kmに位置し、栃原地区の東の関門にあたる。
 
  古城概念図
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 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。 記事内測値も同書に拠る。
 主郭は南北39m、東西は南辺が30m で、南東隅が高く郭内は傾斜する。東西の切岸は高く鋭いく、南はイ・ウの二重堀切、南は堀エによって守られている。
 防備は切岸、堀に土塁を加え、なかなかに手を加えている。
 
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 郭5
石組があるが、もしや写してはいけないものかもしれない…。
右に壁高く郭1。
撮影地背後に竪堀在り。
 
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 竪堀
 
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  南に主城域
 堀ウに写真右から斜めに導線が入る。堀ウを通り、西面へ抜け、土塁開口出入口から主郭へ入ったと考える。
 
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   主郭切岸は壁高い鋭い
 
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 堀ウ、イに接近
 
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     ウ底を郭1、2土塁の挟撃下、通行  
 
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  西へ抜ける 
 
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 ルート側面頭上郭1は北西から西辺に土塁を備え、聳えるように威圧をを加える
 
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 郭1西切岸面
  現況では導線ははっきりしないが、土塁の開口があり、そこから郭1内へ入ったものと考える(次項で郭1内から掲載)。

                       
  郭1
 
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北隅から南方
南西隅が高い。
 
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北辺
 
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  北切岸下に郭5
 
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  南西隅高所へ
南辺は遮断堀切エに沿って土塁が沿う。
 
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  南西隅高所 
 
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  南西南高所から西辺
土塁開口箇所に堀ウからのルートが入ったと考える。
 
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西辺土塁開口部
 
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  開口下
西辺北部から北西辺土塁の下方を堀ウに至る導線で、監視は十分に効く。
 
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  西辺土塁北部
 
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  北西辺土塁
土塁下は堀ウ、イの二重堀切。
 
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   北西辺から二重堀切
土塁・壁下、堀イ畝に限定された堀ウ底は、郭1監視下、限定された通路となろう。
 
 反対南尾根
 
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 堀エ
南尾根は堀エが上幅14mで豪快に遮断する。
堀エは郭1、南(3)両側に土塁が沿う。
 
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エ東掘り下げ
 
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   堀エに沿って設けられた郭1南辺土塁
 
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 エ底(東から)
南(左)にも土塁が沿う。畝構造か。
主郭側内壁は10~12mを誇る。
 
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  エ底から主郭南西隅を見上げる
威容を放つ城壁である。
 

                  
南尾根
 
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郭3
約37m先堀オまでが城域となる。
 
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       堀オは土橋で渡るが、宮坂先生は疑義も呈している。
郭内側にL型に土塁が残る。後世の土橋造成によりLとなったか。
 

   

北西尾根

 
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   郭1北西辺から北西尾根 
 先掲したが北西尾根は堀イ―ウの二重堀切が敷設されている。イーウ間の畝は錣状に際立ち、二重とする(堀ウ堀底通路に関しては先述のため省略)。
 郭2は南東隅にL型土塁を備え、南東辺は堀イに沿う。堀イーウ間の畝とで畝も二重となる。
 
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郭2L型土塁から堀イ
錣状に際立つ。
上杉の仕業か。
 
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  郭1に向かう
 
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 郭2
 北西部に虎口様の窪みあり。
 
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窪み
出入口か?
 
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北西端
舳先は竪土塁が付随か。
 
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降って堀ア、郭4
4の北東に帯郭状の段が付随しこのありまでが北西の城域となろう。
郭4の北西約40mを車道が通る。
 
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 入口
南東約40mで郭4付近  ここhttps://yahoo.jp/mi1oCC
 
 参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版。pp.396-7
 
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                                         次はあそこ
                                           大築城。
 
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