上尾城(長野市信更上尾) | えいきの修学旅行(令和編)

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吉窪城から直線距離で約7㎞ほど犀川を遡ります。
 
上尾城
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 犀川の谷に面した台地末端に築かれ、台地上を篠ノ井方面へ至る街道が通る。宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂本2)によれば、平林の本拠とされ、戦国期は村上氏に属していたが、後に武田に従い、正家の時に牧之島城の副将となった。正家は永禄12年(1569)北条氏との戦闘で討死、正恒が継いだ。天正10年(1582)、武田滅亡の際に牧之島城が織田勢に攻められると、上尾城に退いたが、牧之島城を奪回し、上杉景勝に属したという。
 
上尾城概念図
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宮坂本2に準拠し、郭・堀名をおおよその位置に書き込んだ。
記事内測値も同書に拠rり、同書を参考に城内を辿る。
 
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大門上より番屋敷・二ノ城
上尾城は、城下が付随する城である。
 
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門付近からの上尾城中枢への登路
二ノ城から主要部までの比高は26mとそれほど高低差はない。
 
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薬師堂
家屋の背後が殿屋敷と伝わる郭4。薬師堂も殿屋敷の一画であろうか。
 
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薬師堂の北西脇で主郭1へ至る堀ウ底ルートと郭2へ至るルートが分岐する
分岐は主郭南西隅櫓台状土塁下にあたり、頭上厳重な監視を受ける。
 
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堀ウ底
ウは上幅中央部で19m、左・主郭側壁高は16~19mに及ぶ。
ウの右(南)は郭4(殿屋敷)・5(倉屋敷)で、城主居館部(後掲)のようだ。
 
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主郭斜登導線
 
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虎口が開口
 
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主郭南虎口
 
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主郭北部
八幡社が祀られている。
 
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南東面土塁
塁線は長大な土塁と土塁下長大な堀ウ。
この角度だと南虎口開口がわかりにくい。
写真奥が南西端で櫓台状。
 
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この角度であれば南虎口開口がわかる
 
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南東土塁下堀ウ
対岸は殿屋敷(郭4)蔵屋敷(5)
 
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南虎口開口
 
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南西隅
櫓が揚がりそうである。
 
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南西隅下
薬師堂北西脇の通路分岐を頭上から監視する。
 
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南西隅から主郭内
八幡社背後が北東面で、断崖である。北東面は土塁は一部しか備えていない。
 
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北東面下断崖
 
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北西面
北虎口は開口幅が広い。お堂造成の改変か。
 
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北虎口下
堀イ、郭2。
 

 
北西部
 
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イの東(右)は畝状の盛があり、宮坂先生は二重構造を推定している。
 
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断崖へ落ちるイ東端
 
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郭2
不整の5角形。
 
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2の北
壁下に堀アと断崖に臨む物見台となる郭3。
 
   また、主郭1、2の西下方に幅2m全長90mの腰郭がある
 
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西下中段腰郭
 

 

南東部
 
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主郭南虎口から下方
堀ウ対岸、殿屋敷と伝わる郭4。
殿屋敷には土塁が備わる。
 
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その北東
蔵屋敷と伝わる郭5は、土塁が備わらない。
 
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郭4・5の前に堀ウをもう少々
 
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ウ東端
断崖へ落ちる。
 
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郭4土塁
郭内(右)は藪。
 
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4 殿屋敷
 
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郭5 倉屋敷
藪のきつくないあたり。
 
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郭4・5の南東は堀エが区切る
私は真面目である。
 
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堀エ
 
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エ東端付近
 

 
東部
 
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大門から堀割型の道がお宮に至る
 
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お宮のうえのあたりに物見台があったとされる
 

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お宮は公民館でもある
宮座の実見に感動しつつ、ここでの一味同心・一味神水を彷彿(1)。
お宮の前を本道と隠れ道が通る。
写真右に本道。
 
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隠道
 
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配水池後背の高地から北斜面へ竪堀が降る
造成されたようにも見えないが、傾斜は緩く、臨時の駐屯スペースとして確保されたのだろうか。
 

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竪堀オ・カが派生する高所

北斜面に100m超降り下る。
オの上部には土塁が付く。
上端の土塁は竪掘りを登ってきた敵を容れる枡形用途であろうか。
 

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オに上部につく土塁は竪堀を深くし、横移動は困難であろう

 
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隠道からオ
 
上尾城は、屈曲などの技法は見られないが、郭、土塁、堀が明瞭に残り、また城下をも取り込んだ城の形態が伺うことができる。

 

 宮座の実見とともに、私的には興味深く見応えのある城でした。
 
 参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.199-201
 
 註 1  水林彪(1987)『封建制の再編と日本的社会の確立』,山川出版社,p.31