久須見城(岐阜県恵那市長島町久須見本郷) | えいきの修学旅行(令和編)

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久須見城全景
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  郭・堀名を宮坂武男『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』(以下宮坂本)に準拠し、大まかな位置に書き込んだ。記事中の測量値も同書に拠る。
   北東山麓の木曽川渡河点を押さえる。東濃十八砦のひとつとする伝承もある。下流約1.6kmには中尾砦、さらに約2.4km下流には天王山砦が在り、織田ー武田の抗争時には武田の兵が入った可能性がある。
   主郭から旧道側に櫓台状に小高く、その下に堀アで守る。さらに馬出郭2を置き、堀イとで戦闘拠点としている。後背郭3は宮坂本では居住区と推定している。
 
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主郭1
御嶽社が座す。
御嶽社の裏方向が東で、堀ア、郭2を構える。
撮影地背後が西で一段低く区画され、その先に郭3となる。
 
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主郭西端低い区画
 
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その下方に郭3
北辺東部に虎口。
 
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郭3は草猛る
ブッシュに躊躇いなく突入し、湧き出でるMさんの勇姿に畏敬の念を抱く。
 
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北東隅虎口
  現状では、虎口よりもやや東、郭3北東隅に北麓からの道(御嶽社参道か)が入る、草猛る時期は通行は厳しいのではないか。
主郭へ戻る。
 
 
 
 
 
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御嶽社裏主郭東部
堀アに接し櫓台上に小高く防備を固める。
 
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南は急壁(私達は這い上がった)
 
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小高い前にお墓
 
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小高い上
 防備の土塁にしては幅広で、見通しを防ぐ他、櫓台状に堀ア、馬出郭2に射掛ける防御拠点として機能したと考える。
 
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堀ア先に馬出郭2
堀アは上幅10m。
南(右)北(左)両端は竪堀として長く掘り下げる。
 

堀ア・郭4
 
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堀ア南掘り下げ
 
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北掘り下げ
 
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北は上方城内側に小段と土塁を造作している
その付近の壁は石積で補強されている。
 
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小段
 
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その下方土塁が付随
 
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土塁下堀壁は石積で補強されている
城内側南斜面への回り込み阻止し、また防御点としての小段を維持するための造作と考える。
 
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この付近アの堀幅が狭まっているようにも見える
  木戸、バリケードでも設け、堀底を伝い登ってくる敵を止め、尾根上・城内南斜面への回り込みを阻止し、先の小段、郭1櫓台、郭2から迎撃を集中しようとする意図があったのではないだろうか。
  写真を取り損ねたが、特に右城内側は郭1櫓台、小段から重層的に射線が送られる。
 
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堀ア北下方
伝い登り来る者を監視、迎撃。
 北下方には帯郭状の郭郭4が配されている。南は急傾斜でもあるが、久須見城の造作は木曽川方向を警戒し施されている。
 
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郭4
横堀状にはなっていないようだ。
 

 
馬出郭2以東
 
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堀アで断絶された先に馬出郭2
主郭側には土塁は無く、主郭の統制下にある。
尾根東旧道側に土塁を設け、さらに掘イを構える戦闘拠点である。
 
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郭2から堀ア越しに主郭
土塁が見通しを防ぎ、かつ強固な防御区画となる。櫓が揚がっていれば壮観であろう。
 
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郭2
左右(北南)は急傾斜
だが南は特に険しい。北はやや緩く、堀イ面土塁を北東隅はL型に延ばしている。
 
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南急傾斜
 
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北傾斜
 
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堀イ面土塁 虎口開口
 
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開口北 北東隅土塁
北は南よりもやや傾斜が緩く、L型に土塁を構える。
 
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口前は堀イを土橋が渡る
 堀イ東は城外。
 
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やや斜から堀イ・土橋
土橋に張出して横矢が掛かる構造ではない。織田の造作ではないだろう。
 
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堀イ東から郭2
 
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堀イ東
約50m先に旧道が切通る。
 
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旧道が切通す
 
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南麓側
 
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北麓側
 
参考文献 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、p72
 

 
登り口の検討
 
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私達は左写真の主郭南下から主郭へ辿り着いたが、階段の上はかなり険しい
私達が取り付いた地点https://yahoo.jp/w3zouD (サークルKあったっけ?)
 
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階段の上
また郭3北西隅に北麓から至るルートもあるが、草が猛っている時期は厳しいように思える。
城へは、東の旧道から入るのがいいのではないか。
 

 あとがき

 
 このあたりは東濃に進出した武田勢力の最前線にあたる地帯で、この久須見城もそうだが、4年前に木曽川沿いの天王山砦を実見した時、武田色があまりにも色濃く漂うことに驚愕を覚えつつ、遺構から武田勢の織田力圏への武田の楔・進出を確信した。
 しかし、武田が進出した時期は限られるので、ほぼ同時期の改修だと思うのだが、城によって武田の特徴を見せつつも構造に違いがある。
 天王山砦は横堀と放射状竪堀があるが馬出はない。
 城山砦は横堀と放射状竪堀(1本だが)と馬出がある。
 この久須見城は馬出はあるが横堀、放射状竪堀はない。
 プランゆえか地形ゆえか城の格ゆえか主体の差ゆえか多寡にもよるが敵が寄せ来たときの抗戦・放棄の方針ゆえか。
 そんなことを考えつつ、天王山砦と久須見城の間にある中尾砦をかねて実見したいと狙っていた。
 古城山城整備活動で知り合った(原田先生のご縁)東濃在住の城友達Mさんが中尾砦の踏査経験があるというのでご案内を願った。
 しかし、直前、空手の稽古で、うちのお弟子さんの容赦のない蹴りに私が足を痛めてしまった…。
 
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登り口まで誘導いただき、比高10mほど挑戦
 今年は北信でも東濃でも岩ばかり…。
 
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しかし、とても故障した足では主郭到達・遺構の実見は無理と判断
 今回は登り口の確認にとどめ、退却を決意した。
 どうも近年行きたい城は危険な城が多いが、山城で死んではいけない(らんまるさんの声が脳裏をよぎる)。
 この趣味、退く勇気も必要である。
 
 ということで、厳しい山は登り口の確認にとどめ、比高の小さい和田と久須見の2城を歩いたわけである。 身体は故障しつつも心の抑えきれない沸騰にお付き合いいただいたMさんに心より感謝申し上げる。 
 中尾砦の他に、猪狩山、飯羽間、城址山、馬隠し砦、大平、明智も…、東濃のターゲットが増殖してしまった。越後はここ数日雪が降りつづき、すでに城は春まで無理。狙っていた北信は霜台城の他は歩いた。窓の外に降り続く雪を見るにつけ、東濃への欲求が募るばかりである。越後は雪に埋もれ信濃は凍っていても、特急しなので行けば東濃は歩けそうだ。新年の再攻を期す。