春日山城千貫門 | えいきの修学旅行(令和編)

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  記事更新お休みと書いてなんですが(勉強に集中すればいいものを)、春日山城千貫門周辺を書き改めましたので投稿します。
 

  先日、作手山城案内人の原田さんを春日山城にご案内しました。
 ちょうど地元の中学生はじめボランティアの方々が整備活動をされた後で、きれいに草が刈られていました。 
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千貫門の説明板
 春日山城を訪れる人のほとんどの方は、ここで千貫門の説明を読むことと思います。このへんに門があったんだぁ。 で、どこ?
 遺構に気が付く人は少ないことと思います。

 

 春日山城内の説明板は、何十年も前の記述のままで、標柱にいたっては戦前のレベルです。
中央の研究者のみならず、地元の研究者による学術的な研究も進んでいるでしょうに、その成果がキャプションには還元されていません。私も地元でそういった成果に接する機会を得ません。地元の春日山城を愛する人々の熱意に比べて、管理側の意識の低さが残念です。  
 愛知県からのお客人を案内しつつ、そのように思いました。※散策用リーフレットは秀逸です。
 
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ボランティアの方々のお陰で、遺構周辺はきれいに草が刈られている。
左側は折れて張出し、門前開口前に迎える道を厳重に見張る。上杉圏では最高度ではないか。
  しかし、開口部自体に当たって入る構造ではなく、織豊の虎口にまでは発達していない。謙信後期から景勝期の改修と考える。

 

 
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開口部脇で折れて張出す具合がわかるだろうか。
このようにきれいに観察できるのに…
 
 
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張出からルートをみる
 矢印ルートも発達したもので、古くは左斜面下方から矢印ルート途中に合じたかもしれない。
 道を攻め来る敵兵は、門内の郭から長く側面頭上攻撃を受け、張出にあたる前で折れ、千貫門から城内へ入る。開口部前にも枡形を意識したか(原田さんの指摘による)。
 道正面からは張出部が厳重に見張り、迫り来る敵を撃つ。右上に二条の堀切の下の堀切が見える。
 
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千貫門