久々利城前編(岐阜県可児市久々利) | えいきの修学旅行(令和編)

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イメージ 30金山城から恵那明智城へ向かう予定であったが、可成の脛当が可児郷土歴史館に展示されているというので立ち寄ったら、目の前が久々利城で、職員の方に「ぜひ寄っていって下さい」と勧められ、予定を変更して踏み込んだ。ヒットでした。可児市郷土歴史館は、ここhttp://yahoo.jp/ijqNQ6
 



                  久々利城全景
イメージ 1 エリア外なので城歴は可児郷土歴史館設置「久々利城跡パンフレット」を参考に簡単に済ませます。
 久々利城は、守護大名土岐氏の一族久々利の城で、1400年代半ばには土岐久々利四郎、五郎、式部少輔が室町幕府奉公衆として京都に居住していた。久々利氏は天文年間、烏峰城(後の金山城)主斎藤妙春と争い、同17年に妙春を久々利城内で暗殺する。
 戦国期の久々利氏は、信長の美濃攻めに対し武田と結び警戒するが、信長が美濃を手中にすると金山城に入った信長家臣森可成に従った。しかし、天正11年、可成に代わった長可により、久々利城は落城した。

イメージ 2登り口

下図の現在の位置。












イメージ 43久々利城跡の縄張図(登り口設置説明板を引用)

桝形虎口、三の丸、二の丸、本丸の呼称は左図に準拠、ローマ数字は、『岐阜の山城ベスト50を歩く』掲載中井均作図久々利跡概要図に準拠し、加筆した。ブログ説明用に適宜加筆し引用しつつ辿ります。
前編では、登り口から本丸へと辿ります。後編は、ローマ数字後方郭から西尾根へと辿ります。

 まずは、桃囲い部、外郭線の構造。南斜面の竪堀、西斜面の横堀を辿ります。

専門エリアではないので、金山城同様に見聞を深める意義で見たままに記述します。

イメージ 3南斜面の竪堀














イメージ 4もう一本















イメージ 5虎口前広場

ヒットを確信。


しかし、そこは私、藪の横堀線から行きましょう。









イメージ 6
コ字土塁、横堀線














イメージ 7横堀

奥に竪堀が二本あるようなので挑みました。











イメージ 8横堀前面の土塁がいいのだが、奥、藪の予感、しかも竹…

右側面頭上は三の丸が監視・支援する。









イメージ 9右側面頭上三の丸














イメージ 10竪堀は竹で到達不能

















                 では桝形虎口
イメージ 11L型土塁で虎口前広場を区画し枡形を形作る。

横堀と合わせ、戦国後期に改修、構築されたものか


三の丸からの監視写真は後掲。







イメージ 44桝形虎口前広場から、城内への城門となる三の丸虎口へと辿ります。


桝形虎口もいいですし、そこから、城内入口城門までの終始頭上横矢・監視を受ける屈曲ルートも堪りません。













イメージ 12
虎口前広場

右が虎口開口で、左はL型土塁の破壊口のようだ。











イメージ 13虎口突入














イメージ 15桝形に入る














イメージ 14桝形が形成されている

左側面頭上、三の丸が睥睨。


桝形先、ルートは三の丸監視下に屈曲し、進む。







イメージ 16三の丸が睥睨

あそこから矢玉を浴びる。












イメージ 17枡形先、屈曲ルート














イメージ 18屈曲により、側面・正面頭上(三の丸)から、監視・執拗な迎撃を受ける。












イメージ 19屈曲の後、いよいよ城内への関門となる城門へ













イメージ 21城内への関門となる城門

城門が閉ざされていれば(あたり前)、ここでストップ。










イメージ 20側面高く、三の丸

城内突入をはかる攻城兵は、停止したところを側面、正面から熾烈な迎撃を受ける。









イメージ 23城門はいると、頭上に二の丸が立ちはだかり、奥に本丸が屹立












イメージ 29左に三の丸、右、さらに屈曲しつつルートは城内二の丸方向へ












イメージ 22城門から屈曲ルートを振り返る
















                ここから城内


イメージ 31二の丸、本丸がまるで戦闘艦の艦橋のように統率













イメージ 24三の丸

右上、二の丸の完全監視下にあり、左下、枡形虎口から城門までの屈曲ルート、写真奥下に横堀線をを完全監視下に置く。








イメージ 25城門前を完全監視














イメージ 26屈曲ルートを完全監視














イメージ 27
桝形虎口を完全監視














イメージ 28三の丸も、二の丸の監視下、本丸の統率下にある















イメージ 57二の丸へ




















イメージ 32城門入り、ルートは突出した二の丸南東隅下で屈曲、東から二の丸へ向かう












イメージ 33東ルート、左側面頭上を二の丸監視下、進むことになる

ルートは、ここのみ。










イメージ 34うぃ

二の丸南東隅。












イメージ 35進むと左折れ登り、二の丸


奥に後方郭群。











イメージ 36側面頭上、二の丸、本丸














イメージ 37左折れ登り、二の丸へ














イメージ 38二の丸南東隅突出部

直下に城門、城内へのルート屈曲部を監視。











イメージ 39南東隅直下

城門、城内へのルート屈曲部を頭上監視。











イメージ 40帯郭状の先に二の丸主要部













イメージ 41直下に三の丸を完全監視

枡形虎口ー城門への屈曲ルート掌握が明瞭。











イメージ 42後背は本丸

本丸へは、東ルートにもどり、郭Ⅴをへて郭Ⅲ-本丸間の土橋で至る。












イメージ 46本丸へ向かいます



















イメージ 45
東ルートから本丸へ













イメージ 47後方郭Ⅰ・Ⅲ・Ⅴと谷状の郭Ⅵを挟んでカーブ。
郭Ⅰ・Ⅲ・Ⅴから横矢を浴びる…。

なんて城だ。









イメージ 48本丸と後方郭は土橋で接続

土橋の南西付け根に到達する。










イメージ 49土橋の付け根に到達














イメージ 50本丸への入り口は本丸北東部が櫓状に側面から固める












イメージ 51久々利城本丸へ














イメージ 52本丸南部














イメージ 54直下に二の丸・三の丸を監視、統率

屈曲ルートが芸的でさえある。










イメージ 55書き込みなし














イメージ 53眺望(方角は金華山方向か)


前編はここまで。











      後方郭、後方遮断堀切、西尾根は後編で辿ります。
イメージ 56
















参考文献
 可児郷土歴史館設置「久々利城跡パンフレット」
 長瀬治義「久々利城」、三宅唯美・中井均編(2010)『岐阜の山城ベスト50を歩く』、サンライズ出版株式会社、pp.106-9