信濃、連発します。
北条城
宮坂武男『信濃の山城と館8』によると、外様十人衆の城と伝わるとしているが、誰なのかはっきり読み取り難い。上倉氏分家北条氏でいいのだろうか。
標高750.6m,比高350m(北条から)の山上に築かれている。
山もいい形だが、やはり信濃の国の空が美しい。
山頂ちかく戸狩スキー場があり、舗装道が南直下標高670mを通る。そこから遊歩道が施設され、今見ている山容の背後、北西尾根伝いに山頂へ至ることができる。
北条城へ至る遊歩道登り口付近スキー場の施設
登り口
北西尾根伝いに城に向かう
標高700級の尾根に7条の堀切を設け備えている。
まず堀セに入る
堀・郭名は、宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』に準拠します。
堀セから北西尾根伝い
山頂(郭1)へ至る遊歩道。
堀スの底から魅惑が薫る
堀ス
ここから堀ス・シ・サ・コの四重堀切であり、遊歩道は乗り越すが、遮断意図の構造であろう。
スに次いで、シ・サ・コが出迎え
堀シ
こんなのと通すなよ、
っていうかありがとう。
堀サ
堀コ
堀コ城内側は主防御壁になろう
登ると迎撃陣地であろうか、細尾根上わずかだがスペースがある
その先に、まだ堀ス
堀スを越えると、山頂へ向かい上昇
まだ堀あります
凄ぇ
ここ標高740mです。
堀ク
堀クを越えると主城域になる。
北に土塁付堀キが回り込みを阻止。南に郭3。
堀キ
土塁が付く。
郭3の段差
郭3東、帯郭と区切る堀カ
宮坂図には、この堀カ手前から主郭へ至る路が記されている。
また、右に南尾根が派生し、景勝期を思わせる前面に土塁を備えた横堀ソ、他タ~トの堀、10段以上の削平地が設けられているが、藪で進入は無理。
堀カ付近から主郭(山頂)
遊歩道は帯郭を通して敷設されているので、そちらを通ります。
主郭南下帯郭
遊歩道は左に折れ、登ると主郭に至る
しかし、この先の南東部付近堀オーエ間に宮坂先生は畝状空堀の痕跡を記している。
南東部付近
しかし、藪が…。
この堀がオなのかエ南端なのか畝状空堀の一条なのかは不明。
山頂東、郭2方向へは回り込みは不可
あるいは、ここが堀エ南端か。
南東に派生する南東尾根
この尾根にも堀ア、イが施設されているが、人間の通行は不可能。
主郭へ
信濃の国の空に近づく
山頂
北条城主郭
大きな石がある
宮坂先生は古墳であった可能性を付記している
東に一段低く郭2
なにか動物の通った跡
郭2に降りてみるか思案したが、たぬきよりも大きい動物のようで、遭遇の懸念もあり止めておいた。
私に先立つ1-2週前に、らんまる・ていびすの両名が、ここ北条城を調査している。
2016.1.15公開の「らんまる攻城戦記」において、郭2-郭1の間に堀エは横堀状に堀通っておらず、堀エは両袖のみの造作であり、郭2ー1間は切岸であったことを報告している。
私が見た郭1-2間の動物通行痕跡は、らんまる・ていびす両名のものであった。
恐れ入るばかりである。
私は踏み込まなかった郭2の様子、ならびに雲海たなびく奥信濃の幻想的な風景が「らんまる攻城戦記」にて公開されています。ご覧ください。
「北条城」『らんまる攻城戦記』 http://ranmaru99.blog83.fc2.com/blog-entry-764.html
私は快晴の信濃の国の空と眺望をみなさんにお届けします。
北西 越後頸城方向
北 志久見口栄村方向
北東 野沢温泉方向
廓然無聖
南 飯山城方向
あぁ、信濃の空よ
参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版
参考サイト 『らんまる攻城戦記』