越後に迫る武田の脅威 エピローグ(黒岩城から) | えいきの修学旅行(令和編)

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  エピローグも黒岩城からおおくりします。
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 越後に迫っていた武田の脅威は、永禄11年の武田信玄率いる甲軍主力による飯山城攻め以降、南の駿河に方向を変え、武田は、今川、北条、徳川、織田との抗争へと向かっていく。
 信濃での謙信、信玄の衝突、抗争は鳴りを潜め、甲越の境目は謙信の死までほぼこのラインで確定する。
  
  永禄12年、武田と抗争するようになった小田原北条氏と謙信の間に越相同盟が成立する。武田は同年から北条領内に侵攻、本拠小田原城にまで武田の脅威が及ぶ。武田の侵攻を牽制するため、北条はさかんに謙信に信濃への出馬を依頼するが、同盟の条件でもあるはずなのに、不可解にも謙信は応じなかった。
 その裏で、実は謙信と信玄との間で和睦(甲越和与)が成立していたのだった。(平山 2014,p.48)
 
 甲相同盟復活、越相同盟破談となり、甲越和与も長くは保たれなかったようであるが、両雄の間には、戦い尽くして、もういいという思いもあったのであろうか。
  
 本ブログで取り上げた、城坂城、中条城が漂わす甲越の熾烈な情勢も、時代とともに変化した。
 謙信、信玄の抗争が熾烈すぎであった故も一因かもしれない。
 
 そんな熾烈な抗争を張った二人であるが、信玄の側近にあった僧が、晩年、信玄が謙信について語った言葉を伝えている。
 
 「其国之太守謙信、大方於太刀者日本無双之名大将ニ而御入候由、信玄入道時々刻々愚拙へ物語ニ而候キ、如御存、(後略)」
 
 甲州真言宗寺院加賀美山法善寺の僧教雅が、旧知であった越後上条談義所長福寺の空陀法院に宛てた天正四年に比定される書状(『歴代古案 第四』・『山梨県史 資料編5 中世2上 県外文書』)の第二条で、越後の上杉謙信は、「太刀においては日本無双の名大将」と信玄が語っていたと記している。 (矢田 2014,pp.22-9)
 
 二人、熾烈な抗争を経て互いに認め合い、穏やかに話し合える仲になったいたのかもしれない。
 
 両雄の死後、後継の勝頼・景勝は無二の同盟者となる。
 
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越後上条談義所長福寺址
 
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甲州真言宗寺院加賀美山法善寺
 
 参考文献 平山優(2014)『長篠合戦と武田勝頼』、吉川弘文館
        矢田俊文(2014)「中世後期越後真言宗寺院と甲斐円性坊教雅」、『新潟史学』、第72号、pp17-34

 
おまけ  黒岩城からお送りしましたので、黒岩城をおまけします。
 
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中条城で使った写真ですが、背後標高899.5mの黒岩山山頂南端部に黒岩城
 
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 顔戸集落からの比高も570mあり、現在の野沢温泉・木島平から飯山市、往時は眼下に中条城、遠見に毛見城ー飯山城の武田上杉の境目が見渡せる。麓に居館を構える顔戸氏との関連も考えられるが、平丸峠を越えて越後から出で来るルートでもあり、越後方の砦として機能したことと考える。
 
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県道411号 左 鷹落山
右 黒岩山 分岐点
 
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 黒岩山へも林道が通りますが、徒歩を勧めます。私は途中まで7分ほどバイクで入り、危険なためバイクを降り、20分程徒歩で到達しました。トレッキングコースとして分岐の案内などは整備され、徒歩の通行は問題ありません。ただしクーさんにお気をつけ下さい。城は猛藪です。
 
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ルート途中、眺望は抜群
 
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土塁をぬけ郭4
ここを土塁・堀切と気づいて通る人はいるのだろうか。
 
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郭4には休憩小屋がある
トレッキングで訪れる人は多いのだろう。
 
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休憩の小屋
信濃の国の人々の気遣い。
 
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野沢温泉方面
 
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毛見城方面
 
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蓮城・善光寺方面
 
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このあたりまでは、黒岩城踏査の期待に胸が膨らんでいました。
郭3を挟んで堀オ・エの二重堀切。
 
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堀オをトレッキングコースが通る。
 
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郭3へ突入
 
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堀オを西にトレッキングコースを通り、西側面にまわります。
 
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黒岩城主城域西側面
 宮坂図では、郭1には土塁が、また土塁と堀切を縦横に組み合わせた二重堀切堀ウ・イ、さらの郭2・堀切アと稜線上に連なるようだが、藪がきつい。
 
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健気に郭1突入を目指す。
 
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うっ
 
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ぶぉ
 帯郭伝いに回っても稜線上は同様であろう。今年は鎖骨・肩が癒えていおらず、無理せず(もうしてる)退却しました。
 
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郭3を堀オと挟み二重堀切を構成する堀エ
 
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堀エ もう一枚
 
宮坂先生、藪レベルも記載してください!
 
 参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版