富倉城(長野県飯山市富倉滝ノ脇城くら) | えいきの修学旅行(令和編)

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富倉城
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 ブログ記事のアウトラインでは次は直峰城なのですが、今春の藪相手に稼ぎ得た功名を披露いたしたく、北信富倉城を紹介します。
 富倉という地名から、謙信・信玄に興味のある方ならピンとくると思います。富倉城は、信濃における越軍の拠点として謙信が拘った飯山城と謙信居城春日山城のある頸城郡を繋ぐ富倉峠近くにあります。
 このルートは謙信にとっての主要幹線であり、富倉城は飯山城と頸城郡を繋ぐ機能を持った信越国境信濃最後の砦です。コンパクトですが、しっかり手が加えられ、信濃に備えた越後方の機能が盛り込まれた城です。ただし、猛藪です。
 
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 左地図中、ポイントしたい城がいくつもあるのですが、ごちゃごちゃしてしまいますので近々ブログで取り上げる城のみポイントします。
 山口城と中条城は、飯山落城時の決死の抗戦ラインで、上杉方武士の悲壮な叫びが聞こえるかのような遺構が残ります。
 
おっと今日は富倉城でした。
平成も、北陸新幹線、国道292号も富倉を通ります。
 
では、
 
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富滝神社入り口鳥居
 
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富滝神社
背後を登ります。
 
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斜面には耕作地かもしれませんが、登れそうで登るのが困難な段差構造が設けれています。
左側の尾根伝いが登路かとも思えますが、尾根下、削られ取り付きにくいです。
こちらの南斜面は信濃側のため、困難な設定なのでしょう。
いずれの困難も乗り越え登りました。
 
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尾根筋、下部が削られている。
 
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段差構造
登れそうで登れない…。
信濃側に対する備えとしての城郭構造と考えます。
 
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A地点から
切岸上は郭2
右に堀ア。
左、主郭方向に堀イ、主郭南下に堀ウ。
                   
富倉城概念図
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 稜線上に戦闘郭として郭2・郭1を構え、南の信濃側に備えを厳しく警戒している。主郭南下に1´堀ウ、小郭5畝状空堀群カ(私は一基しか確認できなかった)を設けている。
 稜線端は北東(越後向き)は堀ア、南西(信濃向き)は北東に比し大型の堀エ・オを二重に構え、城域を区切っている。
 北の越後側には郭を配している。防御構想というより兵の駐屯・物資の集積を目的とした郭群と考える。
 信濃に備えた越後方の機能を私は読み解いた。
 
 まずは、警戒する信濃側・南の普請を、北東端堀アから南西端堀オまで見ていきます。
 
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堀ア(南から)
この城の藪の序章。
 
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北端はクィっと曲げ掘り下げている。
左側に郭2´だが、後ほど。
 
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北から堀ア
こっちはわかりやすい。
A地点に戻り南面を辿ります。
 
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A地点から南斜面をみます
 
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堀ウ
わかるい!
 
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これならどう?
 
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つつじを掻い潜り、抜けます。
この堀が、信濃への主防衛構造。
右、切岸上に郭1´が設けられ、頭上から監視している。
堀ウ・郭1´・郭1が関連した防御構造。
 
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頭上、郭1´(笑いをとっているわけではありません)
 
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堀ウ底を抜け西端
折れ掘り下げられている。
 
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堀ウ底を西に抜け、南斜面
先に小郭5.
 
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小郭5
右先に堀エ、左下に畝状空堀群カ。
 
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これが畝状空堀群カの一基だと思うのですが。
 
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稜線城域西端を区切り、厳重に構える堀オ・土塁・堀エ。
 
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堀エ
 
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堀エ抜けると郭4ですが、北の郭群は今のテーマではないので後掲。
 
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北から堀エ、だと思うのですが、堀オかもしれません。
 
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北に引いて、稜線西の城域を区切る堀エ・オ。
 

                  
続けます。
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堀アから猛藪を郭2、1へと突き進み(掻い潜り)ます。
 
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堀アから郭2´
左高地が郭2
 
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郭2
つつじが…。郭2・郭1は藪ひどく、極めて困難です。
 
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郭1´郭1へは猛藪です。
 
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うおっ
 
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うおぉー
 
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主郭南下、信濃側を堀ウとともに守る郭1´
右わずかに高く、郭1
 
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富倉城主郭
 郭1
 
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何をどう調べろというのですか。
 
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西端下、先述の堀エ
 

 
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では、さいご、藪ではなく胸がすくような北の郭群の写真を掲載します。
西の郭4から北東郭2´堀アへと辿ります。
 
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郭4
 
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郭4北下方にも平場
宮坂図では郭とはとらえていないようだ。
 宮坂図では、左方堀オから降る竪堀様地形に、道跡を描いている。あるいは越後側からのルートが入っていたかもしれない。
 
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郭4東方、郭3に接続
 
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郭3
郭3下方に郭6、7
 
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郭6
 越後側の北郭群は、稜線上の戦闘郭1・2、南の厳しい備えに守られ、越後からの補給物資、人員を屯する機能と読み解けるのではないか。
 
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郭3北東切岸下の平場
信濃側の稜線が衝立土塁になっている。
 
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郭3北東切岸下の平場から郭3を見る。
左 郭1切岸がしっかり造作されている。郭3は、稜線主郭1に守られていると読んだ
 
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主郭北切岸
 
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郭2´
 
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堀ア
 
 いかがでしたか、富倉城!
 ごらんいただいたような猛藪で、様子を味わうことは難しい事と思います。らんまるさんでさえ、辟易しておられました。
 猛藪掻い潜り、執念で写真撮った378枚の藪写真から様子をつたえることができそうな写真を厳選し、なんとかブログ記事を作成しました。
 
 功名を自負しています!
 
 参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版