三城全景(今までと微妙に違う角度から)
雨引城は大岩城の背後(南)、謙信道が越えていく灰野峠から、西・尾根通しに明覚山に至る山嶺上に聳えてたつ。敵が北から迫る場合は、大岩城の詰めの城であり、敵が南から迫る場合は、灰野峠を押さえ大岩城の背後を守る位置づけになろう。
美しい信濃の国の青空
線なしで
北から謙信道を灰野峠に向かうには、月生城が虎が伏せ控えるように待ち構えている。
灰野峠へは、舗装林道が通る。途中、獣除けの柵がある。
私は、カモシカ君に遭遇、3分ほど対峙した。
灰野峠
灰野峠はここhttp://yahoo.jp/11zXGy
雨引城は写真右方向。
高山史談会設置看板あり
いきなり笹で不安になりますが、数分で笹は抜けます。尾根通しにいけば迷うことはありません。
クーさんにはお気をつけください。
この上が郭6
宮坂武男『信濃の山城と館8』(以下宮坂図)に準拠し郭(番号)、堀切(カタカナ)を記入
郭3が主郭で、灰野峠側には3つの郭と4条の堀切が構えられている。
郭3は標高960mの天空高所の小郭だが、しっかりと手が加えられ、逃げ込み場程度の普請ではない。
郭6
灰野峠からの山道に備え、東と北面を土塁で囲われている。灰野峠から4分。
灰野峠を押える兵が配置された郭であろう。
土塁が東と北というのは風よけ意図か、東と北が仮想敵方向か。
東と北を警戒しているなら謙信道を北から灰野峠に向かってくる越後勢に備えたものか。
北面土塁
けっこうがっちりとしっかりしている。
もう一枚
土塁伝いに山上へ向かう
歩きやすい
岩にも道が設けられている
岩の上
宮坂図では郭としていない。
一旦さがります
底は土橋状
登ります
土橋は郭5に監視されている。
ちょっと遠いか。
登ると郭5
傾斜手前に堀切ア
堀切ア
埋まっていてよくわからないが
傾斜上から見下ろす痕跡は、壁状にそれなりに厳しい堀切だったのではないだろうか。
上方向
右(北)に月生城に至る尾根が派生する。
月生城に至る尾根
急傾斜で危険です。
月生城へは、山麓から登った方が無難です。
らんまるさん、ていびすさんは踏破したらしい…。
このあたり、北面傾斜が鋭すぎ。
うえ、高地は郭4
直登はきつく、南斜面をまわり郭4中にはいったようだ。
南斜面をまわり、郭4中ほどに入る
郭4 灰野峠側(東)突端部
段差か堀切かで一段低く区画される。
北 眼下に月生城(右)と大岩城(東)
宮坂図を見ると、図上からは大岩ー雨引ー月生の踏破を構想したくなるが、苦行を願う修行者以外、避けた方がいいようです。
郭4 山上方向(西)
足元注意
よもや竪堀ではないと思うが…
郭4も傾斜前に堀切イが掘られている
堀切イ
堀イも傾斜うえから見下ろすと、壁状の厳しい堀切であった可能性が見える。
ここは直登のようです
登ると緩やかにつづく
宮坂図では郭としていない
この先に二重堀切
気分的には、こんな高いところに…、って感じですが
堀切ウ・エ
ウ
エ
エの上が郭3
郭3
ここからが主要部
灰野峠から25分。
東突端(写真右)は段差で低くなり、灰野峠側の尾根に備えている。
東突端から灰野峠側の尾根
直下に堀切エ
いっきに明覚山まで書いたのですが、写真が多くなってしまったのでここで区切ります。
その2で主郭郭3から居住区郭2郭1、明覚山を辿ります。
参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版