畝型フェチ集、第2弾、畝型竪堀
畝型竪堀堀群は、寄せ手に斜面を横移動をさせないように、傾斜斜面に連続して掘られている。
荒戸城の竪堀は連続になっておらず、御館の乱頃と小牧長久手頃とで、構想が変化したのだろうか。
斜面ではなく、小さな尾根を遮断するケース、堀底に敷居のように設けている遺構は、畝状空堀とし第三弾でフェチます。
高柳城
西傾斜斜面に連続して設けられている。
鳴海忠夫さんは「かも市史だより12号」で連続竪堀としている。
この竪堀上部には乱釜(隠れ・隠し穴)が設けられている。
舌がすぼまる
目が見開く
乱釜
Yもある
南にもある。
鳴海は畝型竪堀としている。
目が潤む
西斜面とは掘り込み方が違う
下から
薭生城
鳥坂城
上写真直上から
越中、越中境の上杉の城にも畝状竪堀がある。
越中境を守る松山城の畝状竪堀群
尾根上から越中側西斜面に儲けらている。
また、尾根上の通路を制限する意図もあったのではないだろうか。
越中宮崎城
こちらも越中側西斜面に設けられている。
宮崎城は謙信・景勝期にわたり、上杉の重要拠点城郭として機能した。
能登七尾城を目指す、氷見中村山城にもある。
能登にもある
七尾城尾根㉖
北信濃にもある
野尻新城
月生城
畝型フェチ集第3弾、畝状空堀もお楽しみに。