北畠具親城(三重県名張市奈垣字村田他) | えいきの修学旅行(令和編)

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北畠具親城(北から)
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 天正4年11月25日、具教卿が三瀬館にて謀殺されると、興福寺別当東門院主となっていた具教卿弟が具親と名を改め、北畠旧臣とともに拠った城とされる。
 台風と日没が迫る中、退くか撮るか躊躇しながらの訪城で、急ぎ、かつ暗くなりつつあり、じっくりと見ることはできませんでしたが、遺構はかなり良く、その良さが伝わればと思い、ボケ写真込みですが掲載します。
 
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登り口は南西側
国津小学校前より見ています。
  
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登り口に具親城入口の標柱有。

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すぐ入り口を守る櫓台のような石垣が
 城遺構? 
 
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西尾根に登ります。
  
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城域西の尾根へ 
右に具親城 
 
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西から尾根を進む(登る)と、切岸線があり、右側切岸線手前に堀込があります。
  
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堀込
石仏があります。 
これが入口の虎口でしょうか? 
 
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右に土塁か、高まりがある。
 
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通り抜けて振り返る
大手城門のような普請か。 
 
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で、いよいよ具親城 
ようこそいらっしゃいませ 城主 、と木の看板が、お・で・む・か・え。
 中央より右の高地がA
呼称は三重の山城ベスト50を歩くに準拠します。
  
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前の切岸 
 
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Aへの虎口と思われる切り口 
 
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切り口前面左、なかなか厳しい崖
  
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A郭 
高台Bから横矢を受け、C虎口を経てⅡ郭へ至る。
C虎口を守る馬出のよう。
 
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なにやら石 
 
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C虎口 
右、ゆる高くBが横矢を掛ける。 
 
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Ⅱ郭 
約40m四方の城内最大郭 
 
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西面は土塁があり、内側には溝が掘られている 
 
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郭内側、石で補強されている。 
土塁うえ南西隅は広く、Bと呼応する櫓台か。 
 
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南東に高くⅠ郭
天守のよう。
北畠血筋の高さを想う。
Ⅱ郭を見下ろす。
  
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Ⅰ郭
 Ⅰ郭の南東方向の尾根は、なかなか凄い堀E、H、Jと、土塁・高台を備える郭Ⅲ、Ⅳを配し、厳重に備えています。
では南東の普請を見てきましょう。
 
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Ⅰ郭南東、堀E
ボケでますが、なかなか凄い堀です。
 
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Ⅲ郭
L型土塁Gが備わる
 
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Ⅲ郭土塁G南東堀H
ここも凄い。
流浪の主従の俄かな拠点ではない。
堀Hには畝を思わせる普請がある。
堀むこうは土塁IとⅣ郭。
 
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畝を思わせる普請
なんであろうか。
 
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堀底から畝状構造
 
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Ⅳ郭
ここも土塁、高台が備わる。
北東に堀J
 
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ボケでますが堀J北東部
主郭南東に次々と掘られたE,H、Jの堀、凄いですよ。
 
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堀J南西部
 堀Jはこの先でL形に折れるらいが、ここで暮れ、闇になったら…、という不安と闘いながらの撮影でしたので、確認しませんでした。
 
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最後に堀J堀底
堀J南東はⅤ郭となるようですが、防御戦闘普請はこの堀Jが南東端と考えます。
 
参考文献 『三重の山城ベスト50を歩く』
 
多気御所、霧山城、大河内城、三瀬館、田丸城と辿った北畠シリーズ。具親城で完とします。いずれの城も私は哀愁を感じますが、遺構から時代背景を感じることのできる、歴史ロマンたっぷりの城館群です。ぜひ、全てお訪ね下さい。
 
北畠氏城館群・霧山城2http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/15540406.html
北畠氏城館群・霧山城1http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/15540332.html
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