南方、伊南川から会津久川城
伊南川対岸の古町の館を根拠地としていた河原田盛次が、天正17年(1589)伊達政宗の来襲に備えて築城したもので、のち、蒲生氏の支城となり、慶長16年(1611)に至って廃城とされたといわれています。(現地説明版より)
現地説明版に加筆
大手・搦手共、断崖下に馬出(搦手は消滅)、断崖上に桝形を設け、出入りを固めている。
図上北西側も崖だが、崖伝いに尾根を土塁状に立て、強固に守っており、北西側からは寄りつけない。
また各郭間にその尾根土塁から竪堀を落とし区分けしている。
会津久川城は、特徴となる遺構が明瞭に残る。
大手、搦手の登り口には駐車場と概念図がある。写真は大手登り口駐車場。
http://yahoo.jp/n9W9zh地図、とんでもない山奥を想像していたが、豊かに開けていて驚きました。
期待に胸ふくらませ、2、3分で角馬出が見えてきます
うぃ!
大手角馬出
奥、城内への道がジクザクに
ジクザクのうえには、迎撃段が狙っています。
城戸状の折れ
高所
枡形ともなる迎撃段
枡形迎撃段からジクザク登路を見下ろす
ジクザクに登来る敵を、頭上から迎撃。
桝形の城内への窄み
折れ入ると
城南西端
奥は北西面の尾根土塁
右手南之丸
郭背後には尾根土塁が聳え立つ
最奥を折れると尾根土塁
尾根土塁
左は急崖
右下南之丸
枡形窄み入ったところに戻ります。
枡形窄み入ったところ
石積は城遺構か
郭は南之丸
城中枢方向
南之丸と三郭した接続部も桝形状の郭を通る
三郭した
尾根土塁から竪堀が落ちている
尾根土塁うえから南之丸、三郭間に降り落ちる竪堀
三郭から その2につづきます。
参考文献 現地説明版
参考サイト 余湖くんのホームページ