髻山城3 | えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行(令和編)

えいきの修学旅行を綴ったブログです(ヤフーブログから移設しました)。

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主郭西部
入ってきた西虎口から出、北に段々に配された2’、3’、4郭へ向かいます。
 
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崖と壁で極められたルート
 
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2’郭は藪
 
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その下3’郭
 
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3’郭と3郭の段差と食い違う位置に、2’郭と2郭を分けるラインから竪堀が降っている。
 
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 段差があり、3郭
 
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3’郭東端
石を使った土塁で、城東面と仕切る。
 
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3’郭下北東コーナー
 
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3’から4郭への虎口
 
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3’郭下の4郭
4郭下は、郭は配されておらず、斜面に1で紹介した、レ型の長大な竪堀キと横堀カが刻まれている。
 
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竪堀キを上から
降りていきます。
なかなか危険。
(その1では下から紹介しています)
 
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降りると伐採林道にでます。これが横堀カか?と思いましたが、違います。
この一段下に横堀カが並走しています。
 
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伐採林道
右下に横堀カ
 
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横堀カ
降りてみます。
 
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横堀カ 堀底
 
髻山城、思い入れ深く書きました。
 現在牟礼ー長野間は髻山東麓の北国街道(県道60号)で繋がりますが、北国街道は江戸期に整備されたもので(前身の道はあったかもしれない)、戦国期は西麓を通る道が主要道であったようです。
 
参考文献 宮坂武男著[信濃の山城と館2]   願生寺所蔵研究資料  
       願生寺様より伝承お話いただきました。