望月城は、滋野氏三家(海野、望月、祢津)のひとつ、望月氏の要害城で、望月の牧御牧ヶ原台地の南西端に位置し、鹿曲川に面した崖下に居館跡と推定される城光院がある。
鹿曲川こしにみる望月城遠景
木曽義仲に従った中に、望月十郎重頼、東鑑の中に三郎重澄、重隆、余一師重などが弓馬の名手として名を伝える。天文12年(1543)9月20日、望月一族は甲斐の武田晴信に攻められ、殺される。その後、武田に属した支流の望月左衛門佐信雅が望月城主となり、武田支配下の城として大改修された姿が今に残る。
城光院山門
居館大手であろう
お寺とはいっても、元は武士の居館
なかなかいい雰囲気
山門内
居館中心部
本堂
門前は御前小路
西に沢があり、ここまでが居館施設であったであろう
山は望月城
では望月城へ
城光院門前から北東130mに望月城への登山道があります
車道が郭5・南丸と郭6の間を通っているので車で山上まで行けますが、この道が居館からの主要登路にあたるようなので私はここから登りました。
ジクザクの折れに石遺構
城戸?
ジクザクに攻め上ってくる敵の頭上に落とした石か。
竪堀エが上から降ってきます
竪堀オを横切ると
郭3・二の丸西部に辿り着きます
二の丸西面は急崖(下方に居館・城光院)
右の一段高い郭が本丸
縄張図 宮坂武男著 信濃の山城と館1より引用
下、西の急崖を登ってきました
上が御牧ヶ原台地
台地西端を郭1・2の二段からなる本丸とし、西から東へ郭3・二の丸が囲い、南北の堀切で郭4・三の丸、郭5・南丸、郭6が区切られている。南丸には台地側に横取門がある。
郭3・二の丸東部
囲う郭3・二の丸より一段高く、郭2・本丸
本丸内・郭2、さらに一段高く郭1
郭1・望月城本丸
眼下に望月宿
北には細長い郭が4段
二の丸に降り
郭4・三の丸へ
郭3・二の丸と郭4・三の丸をわける堀切エ・一番堀
郭4・三の丸
堀切ウ・二番堀
郭4・三の丸こしに郭3・二の丸をみる
郭5・南丸南部
郭6・南丸北部
北に横取門
左は谷か、掘り込んであるのか抉り込まれていて直進できず、右へ折れる
抉り込まれ部
そとから
北面、御牧ヶ原台地との低地には水掘りが巡らされていたようだ。
北東の鬼門除に位置する厳島社跡
郭5・南丸(右)と郭6(左)を分ける堀切イ
車道になっていて車でここにこれます。
郭6は現在老人介護施設
車道からの入口
郭6からみる
この右手が駒つなぎ場
往時、強力な騎馬軍団の基、望月駒がいたのであろう
参考文献 宮坂武男著 信濃の山城と館1