梨沢城館157・向城158(古城・依田城)長野県御代田町梨沢 | えいきの修学旅行(令和編)

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 梨沢城館は湯川の田切台地上に在り、台地上の梨沢集落全体が要害となっている。対岸には向城(古城・依田城)がある。
 「大井之庄司大井朝光が岩田城(大井城)に居城し、嫡男大井光長本城相続、弐男長倉二郎大井朝信と号し、仁治元年(1240)長倉牧奉行として梨子沢居城」(大井文書)とあり、長倉二郎大井朝信の居城であろう。
 応仁元年(1240)、村上氏に攻め落とされたとされる。(御代田物語)
 
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宮坂先生は、当主居館は豊昇神社から泉珠院付近、もしくは左図豊昇神社左斜上の張出部あたりにあったと推測している。遺構ははっきりわかりませんが、雰囲気はじゅうぶん漂っています。
 
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豊昇神社
梨沢城館の標柱がある。
 
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上の写真右は堀切のよう
 
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集落内、中世の雰囲気
 
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泉珠院
 
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豊昇神社から、相対する向城をみる
 
 
向城へ
 
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北、西、南の三面は断崖東面は上幅10mの堀が掘られ、唯一土橋で城外と繋がっている。
南に一段低く2郭があり、宮坂氏は台所などの施設かもしれないとしている。
 梨沢城館の長倉二郎大井朝信一族が居住したであろうが、応仁元年、梨沢城館落城のおり、同じく落城したと思われる。大井氏滅亡後、文明3年(1471)に依田氏が拠ったとされ、依田城ともよばれる。
 
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 西から
 
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東には林道が通っています。 
上幅約10mの堀、土橋が明瞭に残っています。私は感動。
地図、上空写真でhttp://yahoo.jp/MAr_1t
 
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南に一段低く2郭
 
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2郭アップ
台所?
 
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土橋と正面虎口
なかは柵があり、立ち入ることができません。
 
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北東隅
 
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北 堀 
断崖に落ち込む
 
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おう
 
 参考文献 宮坂武男著 信濃の山城と館1
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