大川氏 その2 ふる城 | えいきの修学旅行(令和編)

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現地案内図です。 その2では、茶線の左を辿ります。
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 物見平から続く尾根には堀切を設けていますが、それほど堅固に見えません。南北朝期の要害といった雰囲気です。
 七曲坂の上に飛礫谷と称する頭上攻撃ゾーンがあります。その上に大川城(二番平)、さらに堀切で隔てられた最奥の箕輪(三番平)と続き、箕輪背後は自然地形を利用した大堀切で終わります。
 
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村上市史別編付録の白描
 藤懸り館背後の山は、二重になっています。一重目はその1で辿った河内平、物見平。二重目がその2で辿る七曲坂、大川城、箕輪をさすと思います。
 古館城跡保存会発行の古館城跡冊子によると、建永元年(1334)に大川将長が南朝方に攻められ、興国四年(1343)に落城した樺沢城を、このふる城としています。
 
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物見平背後
 
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降りると堀切があります
 
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尾根を進みます
 
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二重堀切
 
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七曲坂の前の堀切
 
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七曲坂
 
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登ると段きり、飛礫谷の表示があります。
飛礫谷は左に進みます。
 
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眺望
 
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飛礫谷
投石用の石が残ります
 
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うえにも数段
 
分岐へ戻り登ります。
 
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大川城まえの堀切
 
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大川城(別名二番平)
 
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横に一段低く郭があります
 
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大川城背後を降ります
 
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堀切があります
 
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登ると箕輪と称する郭
 
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数段の削平地(段きりと表示がります)を備えます
 
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箕輪(別名三郭平)
 
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箕輪背後の大堀切  
ここまで藤懸り館から1300m
遊歩道はきれいに整備されています。時間あれば、遺構を求めてというより山歩き目的で。
 
おまけ
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瀬波群絵図にも描かれている高岩寺
大川家貞公木造が安置されています。
また左手に高台があり、山北町史で府屋館という館の跡があります。
 
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大川家貞公木造
 
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府屋館
 
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 新潟市から山北府屋を目指すには、海沿いの国道345号線か山間を通る国道7号線(出羽街道)があります。私は7号線を通り山北に入りました。府屋が近づくと潮の香りが谷を伝って上がってくるのでしょうか、なんともいえないよい潮の香りがします。私が普段住んでる頸城平も海が近く海の匂いはしますが、別ものの心地よい潮の香りです。
 車で行かれる方は北中集落を過ぎたらぜひ窓を開けてみて下さい。山北の潮の香り、良いですよ。
 
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府屋
 
参考文献 山北町史 村上市史 
古館城跡保存会発行小冊子
古館城跡保存会・府屋学校町自治会発行
古館城跡パンフレット