★仙当城その1(長野県栄村仙当) | えいきの修学旅行(令和編)

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百合居橋付近からみる仙当城遠景
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川は千曲川
奥まった位置にあります。
 市河氏の城と伝わるが、遺構の規模、機能が国人の要害レベルではなく、武田の千曲川沿い越後国中侵攻を防ぐ、上杉氏による信濃川右岸の越後防衛秘密要害だと思います(天正6年以降・武田制圧下市河氏構築と考えています。2020.2訂正)
 川近くには城坂城という山城があります(こちらが上杉要害)。ので、秘密要害としました。
 凄まじい切岸と堀切が残ります。
 
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大手登り口
 
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今日は友達と!
かねて行きたいと思っていましたが、熊の生息地ということで、一人での訪城を躊躇っていました。
ネット繋がりってありがたいものですね。
 
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大手の尾根道は石塁をともなった2~3折れの防御拠点が数か所あります。
ここを突破するのもかなり困難かと。
 

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尾根上 
堀切アの手前の郭6には、機能がわかりませんが、堀というか溝があります。
 
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その先、堀切ア
道は狭められている。
 
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郭5の先、尾根の右側(西)は、この崖
攻め登れません
 
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堀切イ
 
 
その先、進むと
 
見えてきます
 
 
 
では縄張図です
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坂武男先生の縄張図に宮坂先生の郭番号()、堀切カナ書き込んで掲載します。
白字の大手、搦手、A、B地点は私の説明用の記入です。
 大手からの城道は、4を経て長大な堀切エ(全長180m)に入ったようです。堀エに入らず、なんとか取り付けそうな尾根状の高みに登ると、罠です。もっとも、堀エに入ると郭1、郭3、郭1-3を繋ぐ土橋上から、丸見えの頭上攻撃を受けます。
 搦手は、郭3の巧妙な虎口が待ち構えます。堀オ、カで狭められた土橋状の道は、さらに堀キで曲げられ、見えない虎口に入ります。
 郭3と郭1は上幅約40mの大堀切クでガバッと隔てられ、一本の土橋(これが長い)で繋がります。繋がるというより綱渡りのよう。
 郭1北東にも郭2を配しています。こちらからの侵入も警戒したのでしょうか。ただ、郭2から郭1に入ろうにも道は見当たりません。郭1からの迎撃を受けながらまわり込んでも、Aの罠、反対は大堀キで行き止まりのBで、慄(おのの)く兵の心理がうかぶような残酷な終末が…
 極めて危険なしかけの要害…です
 
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堀切ウ
堀切ウで遮られ、郭4へ入ります
 
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郭4のわきから堀エに入ることができますが、
左の尾根上の高みが取り付けそうで、攻め登ってみました。
 
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なんとか取り付けて、いけるか?とうきうきしつつ侵攻
 
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主郭下、タ、ソ、セ、スの竪堀に遮られます。
こりゃ無理だと、行けそうな右上に進むと
 
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 タ、ソの上
行けません
 
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 郭1下、A地点は畝となる竪堀タ、ソの上端と竪堀とで、やばい、と気が付いたときにはすでに手遅れで、進むも退くもできない地点です。郭1から撃たれます。
 私たちには頭上から撃つ敵はいなかったので、幸いにも堀エに斜めに滑り落ち、窮地を脱しました。
 
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A地点から堀エに向かい斜面を下りるお友達
 
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滑り停まるお友達
上は郭1
 
イメージ 14堀エ
全長180m
左前方が郭1と土橋
右側は、畝のような堀切が瘤をつくり、使用できないような意図の普請でしょうか
 
堀エを進みます
 
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 堀エから郭1(高所)、左手前下が先述のA
 
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郭1下を過ぎ、左上は郭1と郭3を繋ぐ土橋
この土橋には斜めに戻るように道が付きます
 
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戻るように斜めに土橋にあがります
奥の高所は郭1
 
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取り付いた土橋途中から郭1への虎口を見る
右は上幅40mの大堀ク
 
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大堀ク
敷居があります
 
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郭1
 
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郭1には石塁の名残?を思わせる石があります。
 
 
 その1ではここまで
 
参考文献 宮坂武男 仙当城