芋川領 | えいきの修学旅行(令和編)

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 甲斐の武田が村上義清を追って後、北信濃の国人は武田の圧迫に対し、須田、井上、島津、高梨は越後の長尾(上杉謙信)を頼り、芋川、市川は武田に与しました。上杉を頼った国人のうち、高梨氏は中野から飯山に後退しかろうじて信濃にとどまりましたが、他は領土を追われ越後へ逃れました。
 武田に与した芋川氏は、まさに甲越の境目に武田方の最前線として留まりした。武田晴信からは信頼されたようで、芋川氏に宛てた文書が残ります。
 武田滅亡後は上杉景勝に与し、文禄3年定納員数目録では4486石269人の軍役の信州侍中牧ノ島城将
として記されています。

 

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 芋川氏の要害、若宮城は、現在の上信越道を挟んで、上杉方の割ヶ岳城と対峙しています。
割ヶ岳城と野尻城は、甲越の争奪の記録が残るまさに最前線です。
ここhttps://ameblo.jp/mei881246/entry-12496881710.html?frm=theme

にどっさり書いてあります。 

 
   
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芋川氏居館跡
館の南に案内看板があります。
以下、案内看板より。
     芋川庄は、吾妻鐿の信濃ノ諸庄(文治二年一一八六年)に、当時の近衛基通殿下領であった事が記されている。 この地は、芋川庄の中心で、芋川庄の政所であった所であり、後にその庄司の後継と伝えられる、芋川氏の居館とした所である。庄国の勢力範囲は芋川を中心とした 三水村 の大部分と旧永田村・ 信濃町 の一円におよんでいたといわれている。現在、堀の内といわれる森家に館の礎石と北と西に敷巾四・五M、東西、南北それぞれ二0MのL地形の土塁が残っており、その北側と西側に鍵の手に巾九・0Mの堀跡がある。芋川氏の館は、東西八0M、南北九0Mのほぼ方形の大きな館であったことが想定される。
 
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堀之内前の堀跡
  
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井戸か、水堀の跡か
  
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北西から 
土塁、堀跡。
隣接して妙福寺が在ります。
 
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隣接する浄土真宗妙福寺。
冠木門は飯山城から払い下げられた門のようです。江戸期以降でしょうか。
芋川氏との関連は書かれていませんでした。
芋川氏の墓地は、苔応寺にあります。
 
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苔応寺 
 なかなか立派なお寺です。                                           
 
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芋川領。
鎌倉から室町期は(戦国期も?)鼻見城山を要害としていました。
  
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鼻見城の遊歩道入口です。
場所はこちらhttp://yj.pn/POGou8
  
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登山道は大手道でしょうか、折れながら(迎撃ポイントを通過しながら)登ります。
  
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途中、私のカンですが、重要な城戸のあったような気のする所。
道を挟んで段になり、石遺構の痕跡がありました。
 
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私には石遺構の痕跡に思えました。
  
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15分ほど登ると川の中州のような所があり、畝形阻塞のような、竪土塁のような構造がありました。
迎撃兵が隠れたり、迷わせたり、進行を制限したりするのでしょうか。
そういえば桐原城にもあったような。
  
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人工遺構は真横でも縦でもなく、斜めです。
 
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主郭したに着きました。
土塁と小さい段を二段登ると主郭に取り付きます。右斜めの道に進むと井戸郭につきます。
  
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主郭からみた取り付き方向。
土塁手前が馬出し機能か。
  
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鼻見城主郭 
以下、主郭にある解説版より。
     
     鼻見城は、標高七二二、七Mの鼻見山城の山頂を本丸とした山城であり、奥信濃で大きな勢力をもっていた、芋川氏の初期の構築といわれ、東西南は急坂で、北方(からめ手)は、なだらかで、山城の常法の馬が往来できる要塞堅固な城である。
 本丸城は、東西約二十五M、南北は広い所で約六Mの楕円形をなし、土塁の跡は無く平坦であり、その北方に東西約三十M、南北約十五Mの二の丸城がある。 現在は、本丸城に秋葉神社(安永七年)を勧請してあり山頂からの景観が素晴らしく「長野の自然100選」(昭和六十二年)に選ばれた。
 
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主郭からの眺望。
中野方向。
  
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主郭の西は大きな堀切で西郭と分断されている。
  
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主郭(左)と西郭(西)を断ち切る大堀切。
  
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西郭から主郭を見る。
  
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西郭
 
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主郭北下には井戸のある郭があります。
奥が西郭、左の崖上が主郭。
  
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林道に突っ込める馬がエンジン故障で入院中のため、上品なほうの馬で林道に突っ込みました。
こんなところまで連れてきて、ごめん。
  
 
鼻見城は、遺構がよく残っていて心地よい探訪ができます。
 
若宮城遠景。
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若宮集落にある、宮坂先生の若宮城鳥瞰図
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