遺伝子ってことばが、ひょいと出てきた。まえにDNAは設計図だといったが、設計図になっているのは遺伝子なんだ。DNAの一部が設計図になっている。これが遺伝子ってものだ。DNAのながい分子の上に遺伝子がならんでいるってことさ。
DNAには設計図になっていない部分もある。設計図になっている部分は五%ぐらいしかない。DNAの設計図になっていない部分は、電子を盗まれて狂ってしまった設計図の修復に使われるのだろう。
むろん、修復作業を受けもつ遺伝子ってのもDNAのうえにあるはずだ。これも、前からいっている急所の一つってことになっているんだな。
がん細胞をつくる急所の数は、がんの種類でちがうんじゃないかな。そこで急所が四つあったとしよう。大腸がんの場合はそうなっているようだ。その四つの急所だけが電子を盗まれるのでなければ、がん化は成功しないってことだ。
四つの急所がやられなければだめってことなら、急所をはずれたら、どんなことになるんだろうか。
急所をはずれてほかの遺伝子がやられたとしよう。その遺伝子が役目をもっていれば、それができなくなっている。だから、その細胞ははたらけなくなる。その細胞は死んでしまうだろう。がん細胞にならずにだ。
こんなことはしょっちゅうおこっているはずだ。活性酸素はべつに急所をねらっているわけじゃない。ブラウン運動っていう、でたらめな運動をしているうちにDNAにぶつかるわけなんだからな。
DNAの九五%は遺伝子じゃない。そこにぶつかったら、これはムダ玉になっちゃう。
大腸がんの場合だと、急所は四つあったな。これに一、二、三、四と番号をつけてみよう。この番号はだいじなものだ。この順序にアタックを受けないと、がんは出来上がらないんだな。第一のアタックが、急所をはずれてほかの急所だったら、その細胞はもうがんになれないんだ。
がん細胞ができあがるプロセスは、学校制度に似ている。子供は、幼稚園、小学校、中学校、高校の順に進学しなけりゃ一人前になれないだろう。がん細胞もそれとおんなじだ。
それをブラウン運動っていう気まぐれにまかせてやろうっていうんだから、がん細胞は、皮肉にも狭き門を突破したエリートというわけなんだ。
本原稿は、1994年10月14日に産経新聞に連載された、三石巌が書き下ろした文章です。