だれもが賢くなってほしい
潰蕩三石巌のことば啓蒙思想家カントは「啓蒙とは当人の責任による未熟から脱却することである」といった。
また、「賢くあれ」ともいった。
真面目な意味で、賢いことはかしこくないことよりも望ましいことである。
カントは、人間が賢くなることを念願とした。
カントでなくても、先覚的なひとびとはそう思ってきた。
そして大局をみれば、人類はその方向に歩んできたといえる。
こうして20世紀まできてしまった。
それがすなわち、ここにいう「20世紀の意味」にはかならない。