父の職業は著述業でした。
私の子供のころは小学校の教科書、子供の理科の参考書、科学関係の本などを書き、大学では物理を教えていました。
私が結婚する少し前から、父は方向転換し始め健康のことにとても詳しくなっていました。
長生きして、子育ての間父に助言してもらいたい!
と、思っていましたが、まさか95歳まで現役で活躍するとは夢にも思いませんでした。
私は父が40代後半に生まれたので、髪は薄くなっていましたし、母は1年のほとんどを着物で過ごす地味な女性でした。
時代がそうだったのだと思いますが、40代の頃の母は今の私よりもずっと地味だったと思います。
“良妻賢母”とは母のためにある言葉だと、主人はよく言っていましたが、主人にとって母は理想の女性だったのだと思います。
幼稚園の頃から主人を知っている両親は実の息子のように接していました。
夏休みや、春休みには旅行に連れて行ってもらいましたが、旅館で「おじいちゃんとおばあちゃんと旅行なんていいですね。」と言われ、ものすごくショックを受けました。
「私は絶対若いお母さんになる!!」と、小学生だった私はその時に決心しました。
つづく・・・