こんにちは、ココアこと田中貴子です。

 

 

小さい頃の時代に遡るほど、大の苦手だったのが人前で発表すること。

 

 

緊張のあまり顔が真っ赤になって、何をどう話したらいいのか分からなくなるなど、自信がまるでなかったのです。

 

 

通信簿には「もっと積極的に手を挙げましょう」と定番のように書かれていました。

 

 

それなのに、ここ10年で私がライフワークのように続けてきたのが、通算65回開催した読書会と2年近くやっている共感サークル【ココだけのハナシ】の自由に語り合う場なんだから、我ながら苦笑。

 

 

もうバレバレですが、お喋り〜双方で聞き合うのが大好きです。

 

 

読書会は、本や映画好きな人と「最近良かった作品があったら聞かせて」「それってどんな話なの?」「どこが面白いの?」でよく話していたのを発展させて、毎回テーマを決めて少人数でリアルに東京や関西など開催してきました。

 

 

その人の好きを知ることでお人柄が垣間見えたり、自分の知らない世界を知ることが出来て、毎回大好きな場でした。

 

 

今はオンラインでの共感サークルにシフトチェンジしていますが、フリートークでは「甘える」「優しい」「美しく生きる」といったテーマを設けて、ワイワイ話すのも興味が尽きません。

 

 

思えば昔から対談番組が大好きで、質問によって答えが深まっていくやり取りがたまらなかった私。

 

 

「私だったら、どう答えるかな?」と一緒に考えたり。

 

 

伝えたい言葉を探そうとする姿に、その人らしさをみたり。

 

 

仕事につながる原点や、こだわりとか、発想力とか、聞いているうちにファンになってしまうこともしばしばです。

 

 

そんな流れもあって、これは見逃せないぞと観た映画がこちらです。

 

 

「ぼくたちの哲学教室」

 


ドキュメンタリー映画の舞台は、北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス小学校(男子校)。


この小学校の取り巻く地域・ベルファストの街は、北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの長い対立が続いた歴史の名残ー「平和の壁」と呼ばれる分離壁(赤レンガと鉄条網)が今も存在している。


争いの記憶は薄れかけていても、建物の壁に描かれた政治的なメッセージや衝突の火種もあり、健全に育つのが難しい社会背景もある場所であることも見せています。


だからこそ、親が子どもに言いがちな「やられたら、やりかえす」の暴力を肯定していくやり方でいいのか?


かつて暴力で問題解決を図ってきたことへの大きな後悔を胸に、ケヴィン校長が「哲学」を主要科目にして、子どもたちに問いを投げては様々な意見に耳を傾けながら、子どもたち自身で考え言葉にすることを促し実践する奮闘を描いています。


「どんな意見も価値がある」と繰り返し伝える場では、誰もが共感をもって受け取られるので、子どもたちは遠慮することなく、自分なりの答えを出しては目を輝かせていたのが象徴的!

 

 

感情をコントロールすること、人の意見は最後まで聞くこと、鵜呑みにせずに疑問をもつことなど、若くして学べていることが羨ましい限りです。


「他人に怒りをぶつけていいのか?」

 

 

「不安とは何かな?」からの対話授業。

 

 

そして殴り合いになった従弟同士のトラブルへの対応においても、ただ謝れば終わりではない。


どうして暴力はいけないのか?相手はどう思ったのか?と深めていくところなど・・・自分の心の内にある葛藤もきちんと見つめて言語化していくのです。


学校全体で、子どもと根気よく愛情をもって丁寧に向き合っているのだ。


そこに心が揺さぶられては、勇気を沢山もらいました。

 

 

子ども達の具体的な発言はここでは控えますが、かなり真実を突いていたり、微笑ましかったりと、彼らの未来が明るくあれと願わずにはいられませんでした。

 

 

折しも、気になるワードのアンテナに乗っかって借りた本も「哲学対話」でタイムリーすぎる。


「じぶんで考えじぶんで話せるこどもを育てる哲学レッスン」河野哲也 著(河出書房新社)

哲学というと難しく聞こえますが、自由に意見を出し合える中で、自分事として考える習慣は、大人が言ったから・・・周りがそう望んでいるから・・・ではない、人のせいにしない。


自分を肯定して、たくましく生きる力になるのではないかと思います。


日本でも、そんなムーブメントがもっともっと広がったらいいなぁ。

 

 

まずは大人がもっと対話を楽しめる輪を作りたいですね。


読んでくださって、ありがとう。


↓「甘える」とは?で語り合ったブログです。。。これもその範疇に入るかしら。