ココロコロコロ -14ページ目

新春!

あけましておめでとうございまする。

あけおめ・ことよろ とかってどうよ?
大昔の電報じゃないんだし
そんな挨拶を略するのはどうかと思うっ。

でもさ
言葉ってナマモノだから、そのうちアタリマエになっちゃうのかもね。
過去に「ワープロ」とか「ファックス」ってどうよ?って思ってました。
今もちょっと思ってるけど・・・(笑

日本語は面白くて大好きな言語だから
語源や歴史を知ったうえで話していたいような気もする。
敬語や四字熟語や諺とかをちゃんと知っていたい。
奇麗な日本語を話せる大人ってカッコイイって思うんだ。
・・・今年の努力目標ってことにしておきましょう(笑

雪が・・・。

雪ふってますよ!

年を取るごとに、一年が短いです。
3才の子どもの一年は、人生の三分の一ですが
30才の大人の一年は、人生の三十分の一でしかないですからね。
一年という長さが人生に占める割合が減っていくので
だんだんと一年の短さを実感していくというわけです。

一年を振り返って見れば
うん、楽しいこともいっぱいあったな!
辛いことばかりじゃぁなかったんだ。
だいじょうぶ、まだがんばれる。

忘れようって考える行為そのものが
思い出してるってことなので
すっきりサワヤカってわけにはいかないけどさ。
疲れたら立ち止まったり座り込んだりしても
またちゃんと歩き出せる。
時々振り返ったりしてもいいかな。
歩き続けていたら、遠くに霞んで見えなくなるかもね。


自分のことしか見えなくなったワタシを
見守ってくれた人に、ありがとうを。
泣いてばかりだったワタシを
笑わそうとしてくれた人に、ありがとうを。
立ちすくんでしまったワタシを
はげまし続けてくれた人に、ありがとうを。

もっともっと。
今年出会えた全ての人に
全ての出来事に
ありがとう!

迷惑

謙虚ぶってるつもりで
「これまで人様に迷惑をおかけせずに生きてきたのだけが誇りです」
なんて言う人がいると、ど~してもツッコミたい。
「ほんとにぃ~?」
人間なんて存在自体が迷惑な生き物なのに(笑)
というか、山の中でたったひとりで自給自足でもしてるんじゃなきゃ
社会の枠のなかでは、知らぬうち誰かに迷惑をかけてるものでしょ。
ちょっとした想像力があればわかることなのに
迷惑をかけてることに気づかないほどの鈍い感性しか持ってない
とすれば、そんなヤツは傍迷惑なヤツに決まっておる。

「ワザと迷惑をかけることのないように」と言うならワカル。
これは大事ね。人間関係の基本ね。
もっとも悪意がなきゃ迷惑かけてもいいのか?って話になると
またちょっと違ってきちゃうんだけどね。
年末の殺気立った街中を歩いていると
人間て本来は自己中心的な思考しか出来ないんだな、と思う。
自分の視点でしか見ない世界も面白いのかな?
そんなの眠ってるときに夢の中ででも実現しときゃいいじゃん(笑)
他人の視点を交えてこそ世界は広がるし
そのほうがずっと楽しいんじゃないの?

とか言いつつ、ワタシは人間関係が苦手。
人見知りだし引っ込み思案だし気弱で小心者で意気地なし・・・。
友達は学生の頃からずっと同じ。
自分が自分としてだけ存在出来る間柄の友達だけ。
その後ほとんど全く・・・増えない。
理由は、赤の他人に迷惑をかけられても災害とわりきれるんだけど
知人に迷惑をかけられると冷静でいられないからってことかな。
そして深く関わり合おうとすれば必ず迷惑をかけ合うことになるから。
それがイヤだから知人とはいつも一線を引く。
安易に人付き合いをしないのは自分の性格にあるのはわかってる。
ほんとは人を甘やかすのが好き。世話を焼くのが好き。頼られると張り切ってしまう。
でもそれってカッコ悪い。偽善ぽくてみっともない。
だって、自分の甘さを正当化しようとしてるみたいだし
どこかで見返りを求めてるし、自己満足甚だしいじゃない。
ワタシは他人を分析するのは大好きだが
ついうっかり自分を他人の視線で分析してしまうのが困る。
うそついて見栄はってかっこつけてやっと立ってる足場を
何で自分で蹴っ飛ばさなきゃなんないのかと哀しくなる。
こんな一歩間違えればアブナイ性格で
安穏としたおつき合いのお友達など作れるわけがない。

ほんとは「人に迷惑をかけない生き方」に憧れてる。
でも、まだまだまだまだ力不足。
せめてかけられた迷惑に寛容になれる度量を身に付けたいものだとも思う。

ダグラス・有沢の法則

夫の収入が一定ラインを超えると、妻の就労率が下がります。
これを「ダグラス・有沢の法則」とか言います。
お医者さんの奥様の専業主婦率はとても高い、らしいです。
やはり、どうのこうの言っても
「働く=収入を得る」ですからね。
収入を得る必要がなければ働かないってワケですね。
まぁ、働く意義なんて人それぞれでいいんですけど
専業主婦になって何をするのか、ってのが
イマイチあいまいな人が多いんじゃないかなぁ。

子育ては人生の目標にしちゃイケナイと思う。
子供といえども別人格、自分が産んだからと言って、その人生に過干渉してはイケナイ。
子供が自立して生きていくだけの能力を身に付ける、そのお手伝いをするだけだと。
ある意味、期間限定の「仕事」ではあるが。
子育ては専業主婦に限った仕事でもない。
では、家事は仕事だろうか?
少なくともあまりに個人的な出来事なので、社会活動とは言えないだろうな。
ただ、内助の功ってのは評価されていいかも。
ただし、夫を仕事に没頭させるために滅私奉公する妻とかの場合ね。
夫が仕事をする上で、足かせになるような家庭では内助の功は認められないな。
有職の主婦がエライとか言うつもりは全くナイ。
家事も仕事も中途半端ってパターンも多いし、
立場が許せば専業主婦になりたい人だっていっぱいいるだろう。
で、専業主婦という立場で何をするか、
ってコトになるんですけど。
ワタシには思い浮かばない。
労働の対価として賃金を得ていれば
良く解らないけどなんだか評価されてるんだな、と実感できるのだが。
専業主婦は自分自身で価値を計らなければならない。
とても大変だと思う。
世間で言われるほどラクでもないようだが
果して専業主婦は幸せなのだろうか?
成人で仕事をしないという選択肢を持つ人を
最近はニートとか呼ぶみたいですけど
ニートに専業主婦を含むと、そりゃもうすごい数になっちゃいますね。
男女の区別意識ってのは人生のどこで、すり込まれた思考なんでしょうかね。
せめて、疑問を感じる感性だけは持っていたいものです。

自己ベスト

他人は自分とは違うものってこと、当たり前なことだけど忘れがち。
「価値観の相違」なんかはワリと覚えていられるんだけどね。
「能力差」ってのを認識するのが思うよりむずかしい。
その人なりの「一生懸命」を認めるのが大変なのよね。
どうしても「結果」に拘っちゃうから。
やる気があるのにうまくいかないってのは辛い。
(回りの人も辛い・・・)
もっとガンバレってのは励ましになるんだろうか?
ガンバってうまくいかなかったら
足りないのはガンバリなのだろうか?
ガンバレばなんでも出来るのだろうか?
どうしてもガンバレない時だってあるじゃない?

例えばワタシは本を読むのが好きで一日中でも読んでいられるけど
本を好きじゃない人にそうしろって言っても出来ないだろう。
でもそれはガンバリが足らないわけじゃないし
ワタシにしたってガンバったわけでもない。
自分が簡単に出来ることを出来ないと
「なんで出来ないの?」と言ってしまいがちだけど。
ガンバることを否定するわけじゃないけれど
出来ないって言うことも否定したくないの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何かの言い訳ですが。