魂の光2 | 本質を極める ~わたしの価値観~

このブログは下記ページからの転載です。

 

 

 

 

今日の講座は収穫が多い1日でした。

ウエサク祭のおこぼれでしょうか。

 

何といっても一番嬉しかったのは、

先生が何を言ってるのかがわかったこと。

 

理解(といっても段階があるけど)はまだまだですが、

他の事に関連付けて疑問が湧くぐらいにはレベルアップしました。

 

 

  前回の復習 第一の書 スートラ1~3

 

スートラ1~3は、その後のスートラ全部を簡潔にまとめたものです。

「その後のスートラ全部」って簡単に言うけど、388ページ分です。

 

たった3つのスートラによくまとめたなって感じですけど、

すごく難しいわけでもなく、

むしろ簡潔で読んでもそれほど引っかからないんですよね。

 

 

それが秘教の美しさだとも思うのですが、

たぶん意味がわからずスルーしてるのでしょう。

 

魂の光の全体像が把握できたときには、

このスートラが何て素晴らしいのかと大絶賛すること間違いなしです。

 

スートラ1~3の復習の解説を聞いていて、

今日引っかかったのがスートラ2でした。

 

スートラ2で、「この合一(ヨガ)は、サイキック性質を征服し、

チッタ(マインド)を抑制することによって達成される」とあり、

サイキック性質(アストラル)とチッタ(メンタル)を理論上分けてそれぞれ統御(抑制)します。

 

 

分離して考えるのは、方法論として明確化するのと、

性質やたどる道が違うからです。

 

でも、どちらにしろ、サイキック性質とチッタの障壁がなくならないと

合一にならないわけで、いずれ統合されていきます。

 

スートラ2の何に引っかかったのかというと、

チッタはメンタル界層全てを含むのか?というところ。

 

メンタル界層は、第一エレメンタル王国と第二エレメンタル王国に分かれますが、

それら全体なのか、第二エレメンタル王国だけなのか。

 

 

  第一の書 スートラ4~16

 

主な概要は、スートラ5を、6~16で詳しく説明しており、

マインドの5種類の活動と、それらの統御についての話でした。

 

マインドは知識を得るための手段である

『魂の光』P33

マインドも魂の道具であるということ。

マインドの5種類とは、正しい知識、誤った知識、空想、受動性(眠り)、記憶。

これらがメンタル界の亜層に対応してるっていうのがまたすごい。

 

ヴリッティとは、使用した感覚と感じられたものの間の意識的な関係によって起こるマインドの活動である。

『魂の光』P38

これは難しい表現ですね。

五感に関係するメンタル知覚の活動。

 

マインドの正しい活動と正確な使用がヨガの目標であり、

空っぽの心と呼ばれる状態はヨガの過程には含まれないそうです。

(無になるみたいなことかな?)

 

今日の回は、五感(第六感覚を含む)を抑制、

つまり鎮めることがメインでした。

すべてのラージャ・ヨガの実践者はまず最初に献身家でなければならない。

『魂の光』P43

アトランティス時代にラヤ・ヨガが課せられ、

後にバクティ・ヨガが合体してアーリア根本人種にとって

基礎になる神秘主義と献身の土台が築かれました。

 

今のアーリア人種においては、

メンタル体の征服とマインドの統御を

ラージャ・ヨガの実践を通して成し遂げることが目標だそうです。

 

ラージャ・ヨガはヨガの王道と呼ばれており、

偉大なヨガは低位のヨガを包含するため、

ラージャ・ヨガ以外のヨガは不必要になるとのこと。

 

私が実践しているアートマ・クリヤ・ヨーガはバクティ・ヨガですが、

「まず最初に献身家でなければならない」なら、私はここからですね。

 

ラージャ・ヨガが王道というのは

これからのアクエリアス時代の長期目標としてはわかりますが、

現在のアストラル的な世界では、

まだまだバクティ・ヨガが王道な気がします。

 

皆さんのハートはまだまだ開いてませんからね。

 

あとは、いくつか気になった言葉のまとめ。

 

無執着。これは思ったよりも壮大な話。

 

あらゆる対象への不渇望。

私は今これがテーマですが道のりは長そうです。

 

天国。

それはアストラル界での意識状態のこと。

 

デヴァチャン。

魂がアストラル体を奪われメンタル体に制限されているときのメンタル界での意識状態。

 

ニルヴァーナ。

低位三界から解放されたアデプトの意識状態。諸条件あり。

 

この、天国、デヴァチャン、ニルヴァーナの3点セットは、

これらの言葉が「意識状態」を表している言葉であるということ。

 

天国は、そういう場所のことだと思ってました。

「国」がついてるからそういうイメージになるのかな?

トリグナについても出てきました。

 

グナとは物質の三つの特質であり、大宇宙のエネルギー--形態をまとうこととは無関係に存続する神の生命--が質量を動かし活気づけるときに生み出される三つの影響である。

『魂の光』P48より

「形態をまとうこととは無関係」なんですよね。

第三ロゴスのエネルギーとは別の要素ということ。

 

ここで活躍するのが、

『神智学大要』第4巻に掲載されている生命の各王国の図。

 

これは本当に素晴らしい図だと感心します。

ここでも今日は初めて引っかかったことがあります。

 

それは第三ロゴスから創造される過程で、

その元になるものはなんなのか?ということでした。

 

何から生み出されるのか?とも言えます。

 

先生の回答は、何度か聞いたことのあった説明で、

言葉自体は難しくないし多少イメージできるけど、

『秘教から科学へ』第一章、第二章に書いてあるというので、そちらを参照。

 

私はね、元になるものが意識ではないかと思ったのですよ。

 

だけど、意識は第二ロゴスから生み出されるとのこと。

 

霊と物質の一体化する摩擦で意識が生まれるそうで、

これには大変納得しました。

 

違和感があると、そこに意識が生まれるんですね。

 

これって例えば、今日の講座で私が引っかかった部分、

そこには私がすんなりと理解できなかったことで摩擦が生じ、

引っかかりに気付いたわけで、

スムーズに理解していれば引っかからない=意識しなかったんですよね、きっと。

 

摩擦が生じたところは、

理解したことで統合されるので、

そうやって進化していくのでしょうね。

 

今日は摩擦が多く生じたので、少し進化したものと思われます。