こんにちは。
モンテッソーリ教師のめぐみです。
ご訪問いただきありがとうございます。
鏡のような田んぼ
突然ですが
「うちの子ども学校に行っていないんです」
って、久しぶりに会ったママ友や
初めて会った人に言いますか??
私は言っていますね![]()
「家にいるんですよ。」
「学校は通信制です。」
など笑顔で言います。
でも以前は言えませんでした。
隠したり、嘘をついたり
していました![]()
何も気にせずに
子どもが不登校であることを言えることと
なぜかはわからないけど言えないことには
大きな隔たりがありました。
少なくとも私はそうでした。
言いたくなかったら
言わなくていいのですよ。
無理しないでくださいね。
「うちの子ども学校に行っていないんです」
って悲観的でも楽観的でもなく
ただ事実として言えるということは
色々なことを手放していることになります。
他人軸から自分軸へ。
そんなステップも
含まれている気がするのです。
たかが子どもの不登校。
ですが結構奥深いかな〜って思います。
見える世界が変わります。
もしかして
関わる人や関わり方も
変わってくるのかも??
「うちの子ども学校に行っていないんです」
とニュートラルに言えることのメリットや
言えるためにはどんなステップが必要かを
考えてみました。
最大のメリットは課題の分離
先日、息子が保育園にいたときの
ママ友に偶然会ったときに
「元気〜?
もう中1だね〜!」
なんてお互いの近況報告を
簡単にしました。
「うちは通信だから、家にいるよ〜」
「いつも家で遊んでいるわ〜」
と伝えました。
こちらの気持ちが
ポジティブにもネガティブにも偏らずに
ニュートラルな状態でいると
相手からはあまり何も言われない気がします。
「そんなんでも別に大丈夫なのね」
って思われているんじゃないかな。
でも…
学校に行けていない我が子を悲観していたり
親の育て方が悪かったのかもと
引け目を感じているときや
よそのお子さんの活躍をうらやましく思っていると
相手の反応が変わってくるんですよ、
面白いことに…。
「大変だね。
早く学校行けるといいね。」
「元気だったのにね。
何か手伝えることある?」
などと心配してくれたり
「〇〇って塾は
個人で見てくれるし、
不登校の子どもも見てくれるらしいよ」
「少しでも何かやる気になることを
親が見つけてあげることも必要じゃない?」
とアドバイスしてくれたりします。
さらには
「きっかけを作って学校へいけるように
働きかけた方がいい」
「今頑張らないと将来大変なことになるかも」
と不安を掻き立てるようなことを
言われることもありました。
こちらがニュートラルでいても
そういうことを言われるこもあります。
言われたら言われたで
「そう思っているんだね~」
「そういう考えもあるかもね~」
ってさらっと流しておけばいいのですよね。
こちらが悩んでいたり
逆に「不登校有利説」を唱えなければ(笑)
大抵は、相手もニュートラルに考えられるものです。
不登校が課題だとすれば
それは子どもの課題です。
または、不登校の子どもを育てている
私や家族の課題ですからね。
その境界線が引けるんです。
お互いの領域に入り込まず
認め合える関係性を
築きやすくなるのではないかな~?
もしこちらが境界線を引いているのに
侵入してくる人がいたら…
それはその人の課題です。
何かザワザワ、モヤモヤポイントがあるはずです。
自分の価値観を正当化したかったり
自由な生き方に実は憧れていたり。
そういうものがあるのかもしれないですから
そうっとしておいたらいいですね。
応戦しなくも、悲観しなくても
全然いいです(笑)
嫌だったら、離れても全然いいと
私は思っています。
自分の価値観が変わると
過ごしたい場所、行きたい世界が変わっていきます。
また新しい世界の人間関係を
築いていったらいいと思います。
相手の方から離れていくかもしれませんけれど…(笑)
主体的に生きる
子どもが学校に行っていないことを伝えたときに
同情されたり
問題視されたり
不安を押し付けられたり…
そういうときでも相手の価値観に合わせずに
自分の価値観を選択することは
主体的に生きることだと思います。
気にしない、以上(笑)
そうは分かっていても
気になるし、心がズキズキするんです。
傷ついたり、悲しくなったりしちゃう。
それはそれでいいんです。
そんな自分を認めてあげます。
「かわいそうって思われて
くやしいって思っているんだね」
「アドバイスされたけど
そんなの出来たらもうしているよ!
って悲しくなっちゃったんだね」
さらには
どうして相手の言葉に反応しちゃうのか
気が付くかもしれません。
どうも思っていなかったら反応しないんですよ、多分。
自分がまだ手放していない思いがあるから
反応してしまうのかもしれません。
まだまだ心の深いところでは
子どもの不登校を認められていない自分
だったり
子どもには主体的に動いてほしいのに
やりたいことが見つからずに
ゲームばかりしている姿を不安に思っている自分
を見つけたりします。
こんな風に、表面上は
子どもが学校へ行かなくてもいいと思っていても
本心は違うかもしれませんね。
こういう本心の部分に向き合っていくといいと思います。
心の深い部分で思っていることだったり
無意識の領域に含まれることかもしれませんね。
私の場合は
その他にも自分の本当にやりたいことや
自分はどう生きていきたいかを
考え、そうなれるように動いたりしています。
自分が本当に大切にしたいことを
本当に大切にしながら生きていったら
誰かの言葉は気にならなくなります。
なぜならば
自分軸があるからです。
私はまだまだ途上ですけれど…
少しずつ少しずつ
焦らずに、自分のペースで変わっていっています。
「うちの子どもは学校に行っていないんです」
って言ったときに
どんな反応が返ってきても
傷ついたりしないと思うし
たとえ傷ついても復活できると思うから
言えるのだと思います。
まとめ
子どもの不登校は
私にとっては自分軸を取り戻す
大切な大切な機会となりました。
以前は、子どもが不登校だって言ったら
心配されちゃうかな?
母親失格だと思われるかな?
気まずくなるかな?
・・・と考えると言えませんでした。
色々と不自由だったな~って思います。
今は大分楽になりました。
他人軸から自分軸へ。
不登校に関わらず
いろんな場面で
新しい世界に行ったとしても
自分軸があるといいな~って思います。
不登校はそのきっかけになる
というお話でした。
ここまでお付き合いいただき
ありがとうございました。




