母が教えてくれたこと☆苦手なことは克服しなくていい☆ | 不登校はプレゼント ~不登校や病気などの試練は、本来の自分らしい輝きを取り戻し生きるための素晴らしい贈り物~

不登校はプレゼント ~不登校や病気などの試練は、本来の自分らしい輝きを取り戻し生きるための素晴らしい贈り物~

子どもの中には、人生の道しるべとなる内なる教師がいます。
本来持っている生命力を取り戻し、子どもが内なる教師の声を聞き、力を発揮できるようサポートしていきましょう。
不登校や病気などの試練は、とても素晴らしい贈り物になり得ます。

こんにちは。

モンテッソーリ教師のめぐみです。

ご訪問いただきありがとうございます。




私は左利きです。

書道の筆を握るときは右だったり
ピアノを弾く際は右手の方がよく動きます。



ですが、基本は左手をよく使い、
箸や鉛筆などは左で持ちます。




小学校に入学した最初の方の授業で
鉛筆を持って線をなぞることを
した覚えがあります。


もちろんそれまでのように気にせずに
左手で鉛筆を持っていたら、
先生に直されました。


「右で持ちなさい。」と言われました。



そのときの気持ちと言ったら…

否定された気持ち

無力感

理不尽感

ガッカリ感


色んな気持ちを感じましたね。

今でも覚えています。



「左利きです。」って言ったのに
聞いてもらえなかった。



初めて右で鉛筆を持って描いた線は
不恰好で、悲しくなりました。


左手なら上手に書けるのに。。。

先生に対する信頼や尊敬心は、
ガラガラ崩れ落ちていきました。


だって、学校で書けるようにって
嬉々として練習していたのだから。。。



そして、別の日に
また鉛筆の授業がありました。


私は懲りずに左手で書きました。



だけど、先生に注意はされませんでした。



あれ?左手で書いていいの??



それ以来、今まで一度も左利きを
直されたことはありません。




今思うと…
もしかして母が先生に電話でもして

「左利きなので、左手で書かせてください。」

なんて伝えていたのかもしれません。



当時は、左利きは直した方がいいと
言われていたそうです。


私の夫も左利きなのですが、
鉛筆も箸も右手で持っています。

やはり、子どものときに矯正したと言っていました。


昨今、利き手はほとんど直さないと思います。


園でも10人に1人くらいの割合で
左利きの子どもがいます。


ときどき右に直してくださいと
親御さんに言われることがありますが、

直さない方がいいことを
やんわりと伝えると
諦めてくれることがほとんどです。


幼少期は、自然と動かしたい気持ちから
手を使うようになり、
食べるときも、最初は手づかみ、
次にスプーンで握りもち、
そして3本指でスプーンを持つことを経て
箸を使えるようになっていきます。



これは、子どもの「やりたい」気持ちが
あるからこそ楽しい気持ちとともに
トレーニングがうまくいくのです。



ですが、ここで子どもに我慢させて
反対の手で練習させることは
精神的ダメージが大きいです。


やりたくないことをさせるのですからね。


当然うまく出来ないでしょうし。


自分への信頼や、
周りへの信頼を失いかねません。


劣等感、自己肯定感の低さなども
生まれてしまうかもしれません。




今では当たり前のようになっている
「左利きは矯正しない」という考え。


私が子どもの頃は
まだ当たり前ではなかったのです。



当たり前ではなかったのに
直さないでいてくれた母に感謝します。




左利きでしたが、習字の授業では
右手で書くことを自ら選びました。


そのために習字を習いはじめ、
右手でもそれなりに書けるようになっていきました。


さすがに書道の筆は
左手では難しいと思ったからです。


克服しようと思えば、自分から動き始めるし
努力もするのだと、そのときに経験したことは
今でも覚えています。




左利きのままでいさせてくれたことで
私は母から大切なことを教えてもらいました。


それは…
『苦手なものは克服しなくていい』
ということ。



苦手なことを克服することのデメリットを
母は、知っていたのかもしれません。


もし、たとえ克服できたとしても
得意な人と比べて、
上手くなることは、多分ないのでは…?




苦手なことをやるってことは
やはり苦痛だと思うんです。


苦痛な時間を過ごし、
頑張って克服したとしても
大した結果は出ない。


楽しみながらやっている人とは、
比べものにならないと思います。




このことは、左利きの矯正だけでなく
他のすべてのことにも当てはめて
考えています。



勉強、スポーツ、習い事、
日々の生活の一つひとつ。



苦手克服に時間と労力をかけるなら
好きなことを伸ばした方が
いいんじゃないかなぁ。


その過程で、苦手なことを
克服した方がいいこともあるかもしれない。


そしたら、克服すればいいし、
もしかしたら、好きなことを通して
自然と克服しているかもしれない。



好きなことを伸ばしていけば、
それにつられて
他のことも引き上げられていく。


そんな気がしませんか?


苦手なことに関わる時間がもったいない。


好きなこと、得意なことを
どんどん伸ばして
色んな才能を開花していくと
いいかな、と私は思います。


時代も確実に変わっていっていると思います。


想像ですが…

得意なことを生かして
個人がいくつもの仕事を掛け持ちしながら
働くような、時代がすぐそこまで
来ているのではないかしら。



だったら、

仕事に出来るくらい
得意なことを作った方がいいし、

1つではなく、複数あるといいですよね。



もはや、苦手なことを
克服している時間はない??




潰しがきくように、

万遍なく出来た方がいい

保険のために学校に行っていた方がいい

などはよく聞く言葉ですけれど

本当に??





潰しがきくように、

考える力をつけておいた方がいい

好きなことを見つける力をつけておいた方がいい

集中して向かえる力をつけておいた方がいい



こっちの方が重要な気がする今日この頃。



でも…
苦手なことも克服しないと
社会で生きていくのは大変かもしれない。



そう考えたりもします。



本当にそうだろうか。。。


自分のことを思い浮かべると
小学生や中学生のときに苦手だったこと、
別にやらなくても良かったな…と。


理科の実験、歴史、地理、そろばん、球技


う〜ん、どれも困ってない。


歴史や地理は、大人になってから
興味が出てきて、
本を読んだり旅に出たりするうちに
詳しくなっていきました。


理科の実験は、何をやっているのか
よくわかっていなかったけれど、
高校では化学が結構好きでした。


そろばんが出来なくても、
頭の中で概算ができればあまり問題はなく
正確な計算はスマホにお願い。





自分にとってベストな時期
というものがあるのだと感じています。



今、苦手なことを克服するよりも
いずれベストなタイミングでそのときが来るなら…


そのときに自発的に
向かい合えばいいのではないかな。



そのタイミングを見逃さない力も必要なのかな。


でもそれって別に難しいことではなくて
自分の心をいつでも知ることができれば
「やりたい」って思ったタイミングで動いたらいい。


だけど、苦手なことを克服するような
生き方をしていると、
自分の「やりたい」に気づきにくくなってしまうかも。



なぜならば、
「やりたい」ではなく
「やらなければいけない」や
「やっておいた方が得」だって
頭で考えて動く癖がついてしまうから。。。



「やりたい」気持ちを無視しているうちに
「やりたい」気持ちを感じられなくなっていき

いつしか「やりたい」気持ちも生まれなくなります。


そして、
苦手なことや、やりたくないことも
義務感でやるようになります。


するとどうなるか…

「自分だけ頑張ってる」
と被害妄想に取り憑かれたり、

「〇〇してほしいのに、してくれない」
と周りの人に不満を抱くようになったり、

我慢して頑張っていない人を
見下したり、馬鹿にしたりするように
なるかもしれません。






長くなりましたが…


だから苦手なことを克服するよりも
もっと大切なことは、

好きなこと、得意なことを伸ばすこと。



もし苦手なことをやってみたいと思ったら
無理して頑張るのではなくて、

無理しなくても楽しんで出来るように
そのために必要な力をつけてから
取り組むのもいいかと思います。




苦手なことは、
他の人に助けてもらいましょう。


得意なことで社会に
貢献していけばいいのです。


そうやって
助け合いながら生きていくことが
できたらいいなぁと思います。


これをアドラー心理学では
「共同体感覚」といいます。


自分も他人もそのままでよく、
そのままの自分で助け合っていけばいい。


それこそが、幸せな生き方だといっています。



苦手なことは、克服しなくていい。


それが、幸せな生き方の第一歩。



不登校の子どもたちは
そういう面で
幸せに近いのではないかと思います。



もし、不登校期間中に
好きなことをどんどん伸ばして
その能力を使って
誰かに貢献できるようになれたとしたら。。。


失われたと思っていた自信を取り戻し
キラキラ羽ばたいていくかな。


どのように不登校期間を過ごすかで
子どもの人生は変わっていくでしょうね。



「出来ない」「やりたくない」「苦手」
親がそういった不足している部分にばかり
目を向けて、苦しんだり不安になったりするよりも、


子どものいいところや
得意なところに目を向けて
親がどう関われば
子どもの力や喜びが伸びていくのか
思考を動かしたり
心を砕く方がいいのではないかな〜って思います。



そうすれば、
不登校のこどもの未来は(今も)
幸せなものになるのではないかな。



私はそう思っています。



ここまでお付き合いいただき
ありがとうございました(✿︎´ ꒳ ` )♡︎