「結果」に期待する?「結果」に集中する?どっちーー??? | 不完全なままで完全である

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◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

数年前

バシャールセミナーに参加したとき

バシャールは

「結果を期待しない」と言っていました。

 

 

が、今読んでいる本には

「結果に意識を集中する」と書いている。

 

 

 

ん?

どっち???

 

 

 

 

 

 

(私が考える)答えは

 

 

どちらも!!!

です。

 

 

 

解説します。

 

 

 

 

《結果を期待しない、について》

 

 

ここでの「期待」とは「執着」です。

 

人が「執着」しているとき

そこには「抵抗」が生じています。

(期待といっても、過剰な期待)

 

 

 

例えば・・

 

「どうしても、この人と結婚したい!!!

 絶対、絶対、この人じゃないと嫌なのーーーっ」

 

 

 

 

 

 

躍起になっています。コワイ

 

 

 

この時

「この人と結婚したーーーい♡」

という軽い気持ち・・・はみじんもなく(笑)

 

 

「怒り」に近いエネルギーを感じ

ちょっと・・いやかなり怖い。

重ーーーーーーいエネルギーになっています。

 

こういう相手に追いかけられたらかなりコワイでしょ?

 

 

 

 

過剰な期待を寄せるとき

「それがないと困る!」という焦りもある。

 

 

もう「そのこと」に対して

頭がいっぱいになって

「ほかのこと」に目を向けるゆとりがありません。

 

 

 

 

ひょっとしたら

「ほかにはもっといいもの」があるかもしれない。

 

 

そのことを信じられなくなっている。

そんな状態ではありませんか?

 

 

 

 

エイブラハムが言う

「ない」

「ない」

「ない」

「ない」

 

というドラムを叩き続けるという

まさにその状態です。

 

 

 

 

 

これでは望みは叶いにくい。

よくわかります。

 

 

 

 

 

一方

《結果に意識を集中する》をみていくと・・

 

 

 

同じようで

全然エネルギーが違うのです。

 

 

言葉だけでは分かりませんね。

 

 

 

結果に意識を集中する

このとき「大前提」になることがあります。

 

 

それは

 

 

「そうなる」と

信じきる気持ちがあることです。

 

 

 

だけど、これが

一番難しいと本にも書いてありました。

わかるーーーーぅ指差し

 

 

本の文章を引用しますね。

 

 

思考は現実化する、という言葉を知っているだろう。

 

それに、宇宙には癒しの力があることや、自分の人生をデザイン出来るのは、自分だけだということも知っているはずだ。

 

でも、残念ながらあなたにはまだ小さな問題がある。

 

小さいけれど、とても厄介な問題だ。

 

それは、知っているだけで実は本心では信じていないことを。

 

 

 

 

ひとは

「なんらかの理由・根拠」があるとき

「信じる」ことって容易いです。

 

 

「今までこうだったから」

「世間で言われているから」

「みんな言ってるし」

「常識だから」

 

 

こういうことを

信じるor信じない

の理由・根拠にします。

 

 

 

 

だけどね、

本来「信じられる」ことの

理由も根拠も必要ありません。

 

 

 

なんか分からないけど

という曖昧さが最強だったりします。

 

 

 

なぜなら

理由や根拠が崩れれば

信じる・信じない

その判断も崩れてしまうから。

 

 

 

 

だけど、これも少し難しい。

そう感じる気持ちも分かります。

 

 

 

それならどうすれば良いのか?

 

 

 

 

「信じられる」積み重ねをすればいい!

 

 

 

 

ここで「信じる」対象は

ズバリ「自分自身」であり

 

 

思考(エネルギー)は現実化し

 

宇宙には癒しの力があること

自分の人生をデザイン出来るのは自分だけだということ。

 

 

 

本にはいくつも

「実験」が載っていて

私も「実験」してみました。

 

 

 

次回から

その報告をして行こうと思います。

 

 

 

首を長くしてお待ちください飛び出すハート