犬が病気で休みます | 不完全なままで完全である

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◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

ご存知の方も多いと思いますが、

わたしは黒い犬を飼っていました。


名前はフレ、犬種はちょっと大きめのトイ・プードル。
生まれも育ちもフランスですが、日本語をよく理解していました。

犬と暮らすようになり、自分の観念が変わったのは
「動物は人間よりも偉い!」ということでした。
明らかに、悟ってますからね、動物は。
人間なんて、本当に小さなもんだと思ったのです。

これは、あくまで「わたし」と「フレ」の関係においてです。
だから、「フレ」が「わたし」よりも偉かったのかも。
いやいや、それは「かも?」ではなく「そうだ」です。

いろいろな場面で「犬ってすごいなー」と思ったことがありますが、
一番尊敬すべきなのは、彼らの「今」を大事にする精神ですね。

わたしなんて、「今」おいしいご飯を食べていても、
明日のことが気になったり、昨日のことに腹を立てたりしているのに、
犬はまったく、そういうところがないんですよね。

「今」を楽しむ精神が半端なく高いのです。

これは、人間が見習うべき最大のことなんじゃないかな?
って思います。
だって、おいしいご飯を食べていても、「おいしい!」
ということに、100%集中出来ないんだから。

そして、どんな時も愛情を注ごうとしますよね。
「餌」は与えてもらおう!としていますが、
飼い主への愛情は、与えるということに徹底しています。

わたしは、体が丈夫でどんなにハードワークでも体を壊す、
ということがないので、「病欠」が出来ないのですが、
わたしが「もう、休みたいっ!」と爆発しそうになると、
フレが身代わりになって病気になっていたのです。

そして、そのたびに、
「犬が病気になったから休みます」あせる

と仕事を休んでいました


(これって、フランス人相手だから可能だったのかしら?
そして、この理由で休んだ後は、みんなとても優しかった)

本当に、周りの人やフレには数々助けて頂きましたしっぽフリフリ

フレが死んだあと、「死んだ犬とも交信できる人」に会いました。
そして、そのとき「フレのこと、きいてみたいな」と思ったのです。
老犬を日本に連れて帰ってきたことへの、自責の念もあったし。

だけど、その時に「必要ない」って思ったんですよね。
本当に、フレの声?!って思うくらいにパッと。
そして、冷静に考えたら、やはり私には必要ないことが分りました。

色々なところで、「繋がっている」ことをはっきり感じ取れたから。
ことばだけが全てではない。

人間は、こうやって動物たちに支えられているのですねかたつむり



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