「環境と研究心が生んだ日本一の米」
安曇野の稲

かつて、日本全国で「米づくり日本一」が競われていました。
昭和30年代から、減反政策が始まる昭和45年(1970年)の前年頃まで毎年行われていたそうです。


その年の反収(1反の収量)が一番多い生産者が日本一として表彰され、その歴史に名を残してきました。

米どころ各県で農業技術を競い、米づくり農家の技術向上の指針となっていたようです。

長野県にも米づくり日本一に輝いた生産者さんがいらっしゃいます。

当時を詳しく知る方のお話によると、米づくり日本一の約半数は、長野県の生産者さんだったようです。
夜温が低く、寒暖の差が大きい長野県は、でんぷんの蓄積量が多いため、質・量共に恵まれた生産が出来ます。また、気象条件だけでなく、研究熱心な環境も高い技術の裏づけになっていたようです。


当時、安曇野には、通称「いもち試験地」と呼ばれる農業試験場があり、いもち病予測の試験をしていました。

早植えの稲は、特に注意が必要で、現在もいもち病によって収量の激減が起こることもあります。(写真右…早植え)

米の産地にある試験場は、生産現場と直結した試験によって、現場に役立つ研究を進めることが出来たようです。

安曇野の稲 安曇野の稲









安曇野周辺の生産者の方々は、米どころでもあり、当然、米づくり日本一を目指す努力をされていたそうです。

旧豊科町(安曇野市)に住み、準日本一になった西沢氏(ここでは苗字だけのご紹介にさせていただきますが…)は、水田の土づくりに馬ふんを使うため、自ら馬を飼っていたそうです。

松本市で日本一になられた北原氏は、反収1トンを越す収量を誇り、今に名を残します。

旧三郷村(安曇野市)の西沢氏は、農業試験場の技術員と共に「施肥配分長野方式」という技術に取り組み、日本一になった方です。当時、篤農家として独自の研究や経験による全国一位が大多数であった中、試験場技術によって日本一になったのは初めてだったそうです。


減反政策によって、多収を競う“米づくり日本一”は必要のないものとなってしまい、米の生産は「質」の時代へと移行しました。

しかし、自給率向上が求められ、高齢化により作る人が大幅に減少するのを目前にして、これからはまた反収を高めることが必要になってきます。

農地はあるものの、限られた農地で「量」を確保する効率の良い栽培・・・。

いもち病などに侵されずに、環境にやさしい栽培も実現できる生産技術 が求められています。



★「いもち病」…発生予察で農薬削減

 http://ameblo.jp/megumico-agri-s/entry-10127550224.html



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