韓流時代小説 秘苑の蝶~龍は怒るー王妃の座を巡り令嬢たちが闘う。雪鈴を侮辱した后候補が失格してー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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第五話(最終話) Blue Lotus~夜の蓮~

去年から一年に渡って執筆してきた長編「秘苑の蝶」ここに完結。

☆国王陽祖が崩御した。陽祖のただ一人の子を懐妊した最晩年の側室となった雪鈴。だが、お腹の御子の本当の父親は陽祖ではなく、世子文陽君だ。やがて即位した文陽君(直祖)は、かつての言葉を思い出させるような大胆な行動に出てー。
ー俺は、そなたを取り戻すために必ず王になる。王になるために、女を奪われた屈辱にも耐えてみせる。
シリーズ最終巻が開幕。

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 当時の両班家の令嬢の必読書といえば〝内訓〟である。要するに、女性は嫁すまでは父に従い、嫁しては良人、老いては息子に従えという女性の封建社会での心得を説いたものだ。一般的に科挙を目指す男性と違い、漢籍の素養は必須ではなかった。
 スンジェがこの問いにすぐに応えられなかったのも別段、彼女の教養が低いというわけではなかった。
 スンジェはしどろもどろしてしまい、しまいには黙り込んだ。もちろん、彼女とて仁の何たるかは常識として理解していたはずだ。しかし、過度の緊張を強いられ、しかも王族女性たちが打ち揃った揀擇の場で咄嗟に要領よく考えを纏められなかったとしても無理はない。
 勝ち気な彼女が泣きそうになっている。コンの前でとんでもない失態をしてしまったと動転しているのだ。
 何とも申し訳ないことをしたと、雪鈴は心から反省した。別に彼女を困らせるつもりは毛頭なかった。
 また王族夫人たちから、ひそひそとどよめきが洩れ、大王大妃が焦れたように口を開いた。
「フム、応えられぬか、ではソン尚宮、代わりに教えてくれぬか」
 雪鈴は言葉に窮した。ここで賢しらに応えたのでは、スンジェに余計に恥をかかせることになる。気の毒な令嬢にこれ以上、追い打ちをかけられるものではなかった。
 大王大妃が憮然として言った。
「そなたは自らが質問しておきながら、応えられぬというか」
 その点はやはり、雪鈴を気に入っているとはいえ、誇り高い王族女性である。自分の思い通りにならない事態には慣れていないのだ。雪鈴は仕方なく口を開いた。
 気は進まずとも、この場では応えるしかなさそうである。
「それではお応えします。仁とは即ち、人を愛することです。この教えは、孔子が根本に据えた最も尊いとされる徳目になります。孔子が生きた当時は世の中が乱れ、他人を思いやる愛情が失われていったことが原因で、真心や思いやりを大切にして人を愛する心を取り戻すことが何より必要だとして、仁が最も重要だと位置づけられました」
 大王大妃が膝を打った。
「なるほどのう。私もむろん孔子も仁も存知てはおるが、誰にでも判るように説明せよと言われると難しい。今のソン尚宮の説明は実によく的を射て簡潔明瞭であった」
 大王大妃がどこか厳かにも聞こえる声で言った。
「キム・スンジェ。ソン尚宮が言うように、米と国王殿下や両班が大切というそなたの応えも間違いではない。しかしながら、私自身はこの世で最も大切なのは仁であり、民であると考える。つまりはソン尚宮の申す、人を愛する心で民草を包み込む。それが朝鮮という国の母たる中殿にとって最も必要な徳目ではないか」
 スンジェから消え入るような声が洩れた。
「ーはい」
 彼女が今にも泣き出すのではないか。雪鈴は心配で堪らなかった。と、スンジェが掬い上げるような眼で雪鈴を見た。嫌な予感は的中した。
「僭越ながら、ソン尚宮さまに一つお訊きしたく思います」
 スンジェは今や敵意を隠そうともせず、憎しみさえ込めて雪鈴を睨みつけている。
「尚宮さまは米と殿下や士大夫が大切であるという私の回答を撥ね付けられましたが、ご自身は先王殿下にお仕えし御子までなされた御身ではありませんか。御身のお腹におられる和子さまは紛れもなく王室の御子です。にも拘わらず、仁などという眼に見えない、実体のないものの方が王室の血より大切だと思し召すのですか」
 雪鈴は唇を震わせた。
「私は何もあなたの応えを否定したわけでは」
 スンジェがすっくと立ち上がった。その場にいた全員が凍り付き、顔を見合わせる。
 スンジェは人差し指を雪鈴につきつけた。
「先王さまの御子を懐妊しながら、あなたがそのような世迷い言を口にするのは、あなた自身が賤しい生まれ育ちだからではありませんか。聞けば、あなたは両班の娘だそうですが、その実、どこの家門の出身かも定かではないと聞いております。尚宮さまは真に両班家のご出身なのでしょうか」
 大王大妃が見かねたように言った。
「スンジェ、ソン尚宮は王族に準ずる尊い立場であり、あまつさえ先王さまのただ一人の忘れ形見を懐妊中の身だ。たとえ前領相大監の孫であろうと、そなた自身は一介の令嬢にすぎぬ。王族、しかも揀擇の審査員に対しての今の物言いは立場をわきまえぬ眼に余るものだ。今の不作法なふるまいで、これ以上、この場にはいられぬことに不服はなかろう」
 大王大妃が目配せすると、年配の尚宮二人がスンジェの側に立った。スンジェは立ち尽くし雪鈴を睨みつけたままだ。尚宮たちがスンジェの手を取ろうとするのを、スンジェは思い切り振り払った。
「私に触れるでない。そなたらの指図を受けずとも、自分で歩く」
 スンジェは今一度、雪鈴を物凄い眼で睨みつけ、最後に国王を一瞥してから背を向けた。尚宮たちに両脇から挟まれるようにして、肩をそびやかして出ていった。
 王族夫人たちはまだ何やら額を寄せ合っては囁き交わしている。
 今この瞬間、雪鈴は許されるものなら、この場から消えたかった。もとよりスンジェに恥をかかせるつもりも、失格に追い込むつもりもなかった。大王大妃が仁についての回答を執拗に求めてきて、応えざるを得なかったのだ。