韓流時代小説 秘苑の蝶~龍の涙ー最後のキスさえ拒むんだな。雪鈴はもう俺には触れられたくもないのか | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

 

第五話(最終話) Blue Lotus~夜の蓮~

去年から一年に渡って執筆してきた長編「秘苑の蝶」ここに完結。

☆国王陽祖が崩御した。陽祖のただ一人の子を懐妊した最晩年の側室となった雪鈴。だが、お腹の御子の本当の父親は陽祖ではなく、世子文陽君だ。やがて即位した文陽君(直祖)は、かつての言葉を思い出させるような大胆な行動に出てー。
ー俺は、そなたを取り戻すために必ず王になる。王になるために、女を奪われた屈辱にも耐えてみせる。
シリーズ最終巻が開幕。

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 月は完全に姿を隠したようである。足下が俄に暗くなった。雪鈴は転倒だけはするまいと極力足下に気をつけながら小道を急ぐ。
 池面に浮かぶ四阿が遠目に見えた時、何故か、このまま引き返してしまいたい衝動に駆られた。
 何故だろう。多分、この期に及んでも、雪鈴はコンと別れたくないのだとー別離の瞬間を引き延ばしたいのだ。
 理性では、今の関係を続けるのは土台無理だと判っていながら、もう二度と彼の手を放したくないと心は叫んでいる。
 夜気にほのかに甘い香りが混じっている。別れの夜にはふさわしくない、優しい馥郁とした香りだ。もうこれで二度とコンに逢うことはないのだと思っただけで、ツンと目頭に熱いものがこみ上げる。
 いけない、こんなことでは。今夜はまた、〝保身のためには、どこまでも身勝手で冷酷になれる女〟を演じなければならないのだから。余計な未練や情を抱いていては、幾ら装っても綻びが出てしまう。
 聡い彼には容易く見抜かれてしまうだろう。
 雪鈴は自らを鼓舞するかのように小さく息を吸い込んだ。いよいよ近づくと、四阿にひっそりと佇む人影が見える。両手を後ろで軽く組み、その人は静かに夜の蓮池を眺めていた。
 雪鈴はしばらくその場に立って、愛しい男の広い背中を眺めた。この背中を側で見るのが当たり前だと信じて疑わなかった、あの頃。
 二人で生きてゆくと一緒に過ごす未来を思い描いていた日々が今は随分と遠い昔のように思える。
 だが、彼との縁も最早これまでだ。雪鈴は意を決して前へと足を踏み出す。気配に気づいたのか、コンが振り返った。
 夜の深いしじまの中、二人の視線が切なく絡み合う。雪鈴は頭を下げた。
「お待たせしたでしょうか、殿下」
 コンは何か言いたげに口をうごめかした。恐らく、また他人行儀だと言いたかったに相違ない。が、思い直したように小さく頷いた。
「いや、俺もまだ来たばかりだよ」
 雪鈴は四阿に入り、彼の傍らに並んだ。彼は何を言うでもなく夜の池を眺めている。
 巨大な池は夜の底にひっそりと横たわり、月もない闇夜を映していた。
「残念ながら、月が隠れてしまったな」
 先に静寂を破ったのはコンだった。雪鈴は頷いた。
「そうですね。今夜は半月でしたのに」
 コンがひそやかに笑った。
「雪鈴と前回、ここで過ごしてから七日が経ったということだな。半月を上弦の月とも呼ぶのを知っているか?」
 雪鈴は微笑んだ。
「はい、またの名を弓張月ともいうそうですね」
 コンもまた笑った。
「そう申せば、雪鈴は男顔負けの物識りであった」
 記憶が次々と巻き戻されてゆく。二人して古今東西の書物について語り合った日々が今はひたすら懐かしい。その頃、彼はまだ世子でもなく、むろん王でもなく、ただの一介の王族であった。自分たちは幸せな恋人同士だったのだ。
 雪鈴は生真面目に言った。
「今から思えば、恥ずかしい限りです。知ったつもりで、生意気を申しました」
 コンが破顔する。
「虫も殺さぬ可愛い顔をしていながら、難しき西洋の書物にまで通じている。かと思えば、泣いたり笑ったり忙しく表情が変わる。他人のためには我が身の危険も顧みず飛んでゆく。そなたのような娘を、俺はついぞ知らなかった」
 雪鈴が明るい声音で言った。
「そのおっしゃり様では、褒められているのかどうか判断に悩みます」
 コンが愉快そうに言った。
「もちろん、褒めているんだ」
 今夜のコンは緋色の龍袍を纏っている。対する雪鈴は桃色の上衣に萌葱色のチマを合わせている。上衣にもチマにも織り込まれている金糸銀糸が夜目にも煌めいていた。
 コンはしばらく雪鈴を眩しげに眺めていた。かと思うと、彼女の背中に手を回し抱き寄せた。
「何と美しくなったのだろうな、あなたは。俺がよく知るそなたは、まだ咲き初(そ)めたばかりの可憐な野花のようであったが、今まさに咲き誇る大輪の花の風情ではないか」
 ややあって、コンの顔がくしゃりと歪んだ。
「そなたを花開かせたのは、俺ではなく前王だろうな」
 まるで救いを求めるような彼の眼差しに、雪鈴は瞳を揺らした。コンの眼が潤んでいた。
 雪鈴はそっと手を伸ばし、コンの美しい瞳から流れ落ちる涙を拭った。
「殿下、今も昔も変わらず私の心は殿下のものです」
 この刹那、雪鈴は考えを変えた。心にもないことを口に乗せて嘘を重ねるのではなく、真実を告げることを選んだのだ。また、その方がもしかしたら彼を納得させることができるのではないかと思ったからであった。
 いつだって、真実より強いものはないとー信じたい。
 コンが大きく瞳を見開いた。
「雪鈴」
 顎を取られ、そのまま口づけられようとするも、雪鈴は彼の分厚い胸を両手で押した。
「ー雪鈴」
 コンの面には傷ついた表情がはっきりと浮かんでいる。ああ、自分はまた彼を傷つけてしまった。雪鈴の胸が痛みに震え、指先がかすかにわなないた。
「今夜を限りに、もう二度とお逢いするつもりはありません」