「食べられなかったうさぎクッキー」
私は自他共に認めるウサギ好きだ。良い歳をして恥ずかしいが、いまだにウサギのキャラクターグッズを店頭で見るや、つい手が伸びてしまう。そんな自分にとって、忘れられない想い出がある。まだ長女が生まれる前、つまり新婚時代の話だ。結婚早々から夫婦喧嘩ばかりしていた私たちに、母が「出雲大社へでもお詣りしてきなさい」と勧めてくれた。
私は夫の運転する車に乗り込み、一路出雲を目指した。確かに、出雲は遠かった。ちょっとした小旅行となり、私は喧嘩も忘れ果て、次々と車窓をよぎる珍しい景色に夢中になった。出雲詣でが目的だから、もちろん出雲大社にはお詣りしたのだが、記憶に強く残っているのは実は別の出来事だ。
お詣り後、私たちは旅の常で、近隣の土産物店を見て歩いた。出雲大社は今や有名なパワースポットとして知られている。観光客相手に、たくさんのお店がひしめいている。お酒には強くないけれど、夫はアルコール好きだ。まずは近くのワイナリーを覗いた。そして、「それ」はそこにあった。店の片隅に一個二百円の大きなばら売りクッキーが並んでおり、私は吸い寄せられるように中の一つを手に取った。可愛いウサギの形をしていた。
結局、旅の間に買ったものといえば、そのウサギのクッキーだけだったと思う。夫は珍しいワインの試飲があれこれ試せて、上機嫌だった。私たちは宍道湖が見える見晴らしの良いカフェで夕食を取った後、帰途についた。窓側の席からは宵闇に沈み込んだ大きな湖と、はるか湖上で無数に揺らめく光が幻想的だった。あれも忘れられない光景である。あの光の正体が漁り火なのか、湖岸に灯った灯りなのかは今もって謎だ。
出雲様のご利益があったのか、私たちはほどなく初めての子供を授かった。娘が生まれ、初めての育児に毎日が戦争のような賑やかさで、日は飛ぶように過ぎてゆく。いつしか、忙しさにかまけて夫婦喧嘩も無くなった。
私は出雲で買ったウサギクッキーを部屋に飾った。私にとっては食べ物というより、愛でるマスコットのようなものだったのだ。賞味期限が過ぎる頃には食べようと思っていたのに、何故か食べる気になれず、そのままになった。結局、私はその後、娘が少し大きくなり、下の子ができる頃になっても、食べることはなく、流石に数年が過ぎて名残惜しい気持ちで処分した。
昨年、長女が結婚して家を出て、随分と淋しくなった。あのうさぎクッキーは、どんな味がしたのか、今頃になって気になって仕方ないけれど、時既に遅しである。きっと、ふんわりと甘くて、どこか懐かしい味がしたに違いない。今はウサギの形をしたお菓子には手を出さないようにしている。