第五話（最終話） Blue Lotus～夜の蓮～
去年から一年に渡って執筆してきた長編「秘苑の蝶」ここに完結。
☆国王陽祖が崩御した。陽祖のただ一人の子を懐妊した最晩年の側室となった雪鈴。だが、お腹の御子の本当の父親は陽祖ではなく、世子文陽君だ。やがて即位した文陽君(直祖)は、かつての言葉を思い出させるような大胆な行動に出てー。
ー俺は、そなたを取り戻すために必ず王になる。王になるために、女を奪われた屈辱にも耐えてみせる。
シリーズ最終巻が開幕。
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また、新王と雪鈴の関係について知るのは何も馬尚宮だけではないのだ。後宮どころか宮廷中の者たちは知っている。
かつて即位前の新王と雪鈴が恋人同士であり、雪鈴を見初めた前王が二人を強引に引き裂き、雪鈴を略奪するかのように後宮に召し上げたのだ。
今や前王は亡くなり、世子であった文陽君は即位し王となった。前王が王の権力で女を我が物としたように、彼もまた望めば何でも手に入る地位についたのだ。
ましてや雪鈴は元々は彼の想い人であったのだから、邪魔者である前王がこの世を去った今、まだ若い二人が元の鞘に戻ったとしても不思議はなかった。
だが、前王の側室と新しい王は便宜上とはいえ、母と子の関係に準ずる。ましてや雪鈴は前王の御子を身籠もっているのだから、二人の関係はいかにしても公に認められるものではない。
言われるまでもなく、宮廷雀たちは大の噂好き、詮索好きだ。これは何も後宮の女たちだけに限られたものではない。
特に王室の醜聞(スキヤンダル)などは格好の彼らの餌食になる。しかも、噂の主はこの国で至高とされる国王と先代王の遺した未亡人だ。これに飛びつかないはずはない。
彼らの好奇のまなざしが纏いついてくるようで、雪鈴は到底居たたまれなかった。
彼女はコンに深々と一礼し、去ろうと一歩を踏み出した。咄嗟にコンが近づき、耳許で囁く。
「今度はいつ逢える？」
普段の理性的な彼であれば、衆目の手前、自重したに違いない。しかし、今は途切れそうな想い人との縁(えにし)を何とかつなぎ止めようと必死だった。それが彼の理性を狂わせる一因となってしまった。
国王が近づき、何事か囁いているところさえも、官吏たちは立ち止まってまで見ている。雪鈴は背筋から冷たい汗がつたうのを自覚した。
「殿下、皆が見ております」
だが、コンは引き下がらない。
「明日の夜、例の四阿で待っている」
コンは早口で言い、官吏たちの方を一瞥し、大股で歩き去った。残された雪鈴もまた官吏たちに軽く一礼し、コンとは逆方向へと歩き始める。馬尚宮がすかさず後をついてきた。
背後で聞こえよがしの声が耳を打った。
「まるで夫婦のようではないか」
「自分たちの子が生まれるような歓び様だったぞ」
「一国の王たる方が白昼堂々と先王殿下の未亡人と夫婦気取りとは嘆かわしい」
「いやいや、殿下とソン尚宮はとかくの噂があるからな、二人にとっては寄りを戻しただけかもしれんぞ」
「そう申せば、ソン尚宮の腹の御子は、真に前王殿下の胤なのでしょうな？」
「前王殿下はあれだけ大勢の女たちを取っ替えひっかえ夜伽させても、一人の御子も授からずじまい、なのに晩年になってソン氏が召し出されてすぐに懐妊したというのも何かきな臭いと申しますか」
「お二方はご存じないのですか、ソン氏のお腹の御子の父親は前王殿下ではなく、今の国王殿下だという専らの噂ですよ」
しまいに一番年若そうな男が言うと、一同は流石に顔を見合わせて黙り込んだ。
雪鈴が彼らの会話を皆まで聞かなかったのは不幸中の幸いだったといえよう。
殿舎まで逃げるように帰った雪鈴は自室に入るや、倒れるようにくずおれた。
馬尚宮が慌てて駆け寄る。
「尚宮さま、大丈夫ですか？」
馬尚宮に支えられ、雪鈴は座椅子にもたれかかるように座り込んだ。
馬尚宮が遠慮がちに言った。
「ご無礼を承知で申し上げますが、少しご短慮なおふるまいであったやもしれません。後宮とはいえ、大王大妃さまのお身内は自由に行き来をされております。人の眼のあるところでは、特にご注意なさった方がよろしいかと存じます」
雪鈴は力なく頷いた。
「そうね。あなたの言う通りだわ、馬尚宮」
それから少し一人になって考えたいと言うと、馬尚宮はすぐに隣室に控えてくれた。
雪鈴は文机に打ち伏し、声を殺して泣いた。
馬尚宮の言う通りだ。言い逃れのできない失態を犯してしまった。コンの前途のために泣く泣く身をひいたというのに、この体たらくだ！ 幾らコンが引き下がらずとも、少なくとも我が身が理性的でありさえすれば、大王大妃の縁戚に国王と自分が親密に触れ合う場面など見せることもなかったはずなのに。
雪鈴はこのところ、とみに大きくなった腹部を無意識に撫でた。
つい先刻、コンがお腹を愛しげに撫でていたのを思い出す。まるで我が子が生まれるのを待ちわびる父親のような口調、優しい手つき。
ーこの子はコンさまの御子なのですよ。
真実を口に出せたなら、どれほど幸せだろう。けれど、できない。何のために血の涙を流して彼と別れたのか。あのときの決意と覚悟を今一度、ここで思い出さねばならない。
望んでついた嘘ではなかった。コンに余計な未練を抱かせないために、敢えて心変わりしたふりをしたのだ。
なのに、ついた嘘だけがどんどん大きく膨らんで、罪の意識が雪鈴を苛む。時々、雪鈴は自らの罪の重さが怖くなる。
犯したのは二つの罪に他ならない。世の中と天を偽る大罪だ。お腹の子は真実、コンの子であるのに、先王の御子であると言い繕っている。
更には先王の側室でありながら、コンとひそかに逢瀬を持ったという事実。この二つの罪が雪鈴を茨の枷のように絡め取り始終、責め苛む。