韓流時代小説 秘苑の蝶~龍は囁くー今宵、秘苑で待つ。掴まれた彼(王)の手から私の手に熱が伝わって | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

 

第五話(最終話) Blue Lotus~夜の蓮~

去年から一年に渡って執筆してきた長編「秘苑の蝶」ここに完結。

☆国王陽祖が崩御した。陽祖のただ一人の子を懐妊した最晩年の側室となった雪鈴。だが、お腹の御子の本当の父親は陽祖ではなく、世子文陽君だ。やがて即位した文陽君(直祖)は、かつての言葉を思い出させるような大胆な行動に出てー。
ー俺は、そなたを取り戻すために必ず王になる。王になるために、女を奪われた屈辱にも耐えてみせる。
シリーズ最終巻が開幕。

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ー本当は嫌いになって別れを告げたのではありません。私が先王さまの御許に上がらなければ、あなたはきっと刺し違えてでも先王さまから私を取り戻そうとなさったでしょう。
 そんな馬鹿げた真実を口にして、これまでの彼の、自分の苦しみをすべて台無しにするほど愚かではないつもりだ。
 これまで何度も繰り返した葛藤だった。
 コンの烈しい眼差しが雪鈴を射貫く。
「そなたは国王には逆らえないと、いつか言ったな。だからこそ、私は王になった。そなたを理不尽にも奪われるという屈辱にも耐え抜いたのは、ひとえに我が手にそなたを取り戻すためでしかなかった!」
 雪鈴は唇を噛みしめた。コンの真意を知ったのはこれが初めてではなかった。七月の再会のときも、彼は同じことを言った。
 雪鈴が冷静であればあるだけ、コンは激情を昂ぶらせるようである。であれば、ここは雪鈴がいっそ分別を持たねばならない。
 すべてをー血の涙を流してまで別れたあの日を無駄にしてはならないのだ。その一心で、雪鈴は自分に言い聞かせた。静謐な声音で言葉を紡ぐ。 
「畏れながら、私は殿下の母だと先日、仰せでした。息子が母に対して、このような狼藉を働いても良いのですか?」
 以前の彼の言葉を逆手に取ったのだ。
 刹那、コンの美しい双眸でひと際、鮮やかな焔が燃え立った。
「母だと思ったことなど、一度もない。そなたは俺を息子だと心底から思っているのか?」 
 いつしか彼の一人称が昔のように〝俺〟に戻っている。そのことに彼は気づいてさえいないようだ。
ーはい、その通りです。私は先王さまにお仕えしていた者ゆえ。
 胸を張って言えたなら、どんなに良かったか。いや、この場はそのように言うべきだったのだ。
 けれど。雪鈴の口は石を詰め込まれたかのように固まってしまう。どうしても、たったひと言が言えなかった。
 ー思うはずがない。彼を息子なぞと、どうして思えるだろう? 
 雪鈴は今度こそ渾身の力をこめ、彼の手から手首を引き抜いた。
「失礼致します」
 それでも王に対する最低限の礼だけは忘れず、一礼して彼の前をすり抜けようとしたーその時。彼の側を通る間際。耳許で囁かれた。
「今宵、ここで待っている」
 雪鈴は振りきるかのように後も見ずに走り去った。馬尚宮が慌てて後を追いかける。

 雪鈴の姿が四阿から続く小道を遠ざかってゆく。コンは想い人の姿を四阿内に佇み、見送った。華奢な後ろ姿が消えても、彼はかなり長い間、その場に立ち尽くしていた。
 先刻まで馬尚宮がいた場所には、内官長が静かに立っている。新王の即位に伴い、陽祖に仕えていた前任の内官長は勇退した。代わって新任の内官長の座についたのは、東宮殿の筆頭内官だ。
 コンからすれば、父親ほど年上の内官長は内侍府の長官であり、並み居る内官たちを統率するベテランで、宮仕えも長い。
 去勢し男性でなくなった内官は、王の女の園である後宮にも自在に出入りできる。もっとも、現在、彼の後宮には一人の妾妃もおらず、王が後宮に渡ったことは即位後、一度たりともなかった。
 欲しい女は一人しかいない。欲しくもない女を抱く気にもなれない。臣下たちからは日ごと一日も早い王妃の冊立をと急かされ、正妃を持つ気が無いなら、せめて側室を召すようにと懇願される有り様である。
 かつて彼は天下の色男と呼ばれ、夜毎、色町の妓房に繰り出し妓生と浮き名を流していた。今から思えば、何と浅はかで怠惰な日々を費やしていたことか。
 女を抱くのに心は必要ないとうそぶき、いっぱしの遊び人を気取っているつもりだった。まったく若気の至りとしか言いようがない。せめてもの救いは、無類の女好きといわれても、素人娘にだけは手を出さなかったことだ。彼が関係を持つのは玄人の商売女に限っていた。
 要するに金を間にした関係で、彼は男女の事もそれで割り切れると考えていたのだ。だが、現実として、客を手のひらで転がすという妓生でさえもが彼の虜となり、彼との情事に夢中になった。女が一方的にのぼせ上がると、彼は面倒を避けるため、すっぱりと関係を絶ち新しい女と関係を持った。
 そうやって、毎夜のように数(あま)多(た)の女たちの間を渡り歩いた。抱いた女の数は知れず、いちいち顔も憶えてはいない。
 あの頃の自分は真実の恋がどのようなものかを知らず、あまりに傲岸であり無知だった。
 〝真実の恋〟、か。笑わせる。
 毎夜、色町で乱痴気騒ぎを繰り広げていた頃の自分ならば、一笑に付すような言葉だ。だが、今の自分を見るが良い。たった一人の女に良いように振り回され、飼い主を忘れられない捨て犬のように女の尻を追い回している。何という惨めな姿だ! これが一国の王だというのだから、この国の未来も知れたものだ。
 コンは両手でわしわしと頭をかいた。四阿の外に佇む内官長がちらちらと様子を窺っている。国王の髪は毎朝、起床時に若い内官が結い直してくれる。今朝も綺麗に整えたばかりなのに、これでは台無しになると老いた内官長は目顔で訴えてくる。
 コンは小さな溜息をつき、四阿の真正面に立った。青い水面にちらほらと見えるのは、枯れた蓮花だろう。雪こそ降らねど、今朝も寒さは殊の外だった。そのせいか、池面の枯れ蓮は真っ白な霜を頂き、冬陽に照らされて控えめに煌めいている。