韓流時代小説 秘苑の蝶~風は鎮魂歌を奏でるー薄紅の桜は非業の死を遂げた少女たちの魂を慰めるー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

 

第二話  韓流時代小説 龍神の花嫁~風舞う桜~【秘苑の蝶】

コンと晴れて両想いになった雪鈴は、セサリ町の小さな屋敷で穏やかな日々を紡いでいた。そんなある日、年若い女中のソンニョが冴えない顔をしてるのに気づく。理由を訊ねた雪鈴に、ソンニョは必死の面持ちで訴えるのだった。「妹が殺されてしまいます、どうか妹を助けて下さい」。
昔ながらの小さな農村に伝わる「龍神の花嫁」伝説をめぐる悲劇。「花嫁」が残酷な生け贄だと真相を知った雪鈴はコンと共に龍神伝説が伝わるハクビ村に赴くのだがー。


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 待っている中に時間だけがじりじりと過ぎ、太陽はいつしか真上に来た。朝食どころか、そろそろ昼食の時間になっても、彼女は帰らない。
 宿の前に立ち雪鈴が帰るのを今かと待ち構えていたコンは、はっきりと悟った。
 雪鈴の身に何か起こったのだ。事故か事件かは判らないけれど、何らかの異変が起こったに相違ない。
 焦れたコンがそのまま往来へと飛びだそうとした時、人気の無い砂利道を小柄な老婆がゆっくりと歩いてくるのが眼に入った。老婆は六十代ほどか、小腰をかがめ歩くのも大変そうだ。
 しかし、今は関わり合っている場合ではないと彼女とすれ違おうとした刹那、呼び止められた。
「もしや、あの宿屋にご滞在中の旦那さまではありませんか」
 鈍(なま)りはあるものの、丁寧な口調は彼女の品性を感じさせた。話しかけられ無下にもできず、コンは頷いた。
「ああ、確かに宿に泊まっているが、今は急いでいる。申し訳ないが、用なら女将がいるだろうから、そちらにー」
 言いかけたコンに、老婆は微笑んだ。
「旦那さまの妹君にお会いしたいのです」
 コンは茫然と呟いた。
「妹ー」
 確かに腹違いの妹はたくさんいるがと考え、苦笑した。違う、そうではない。この老婆の言いたいのは恐らく雪鈴のことだ。雪鈴はコンの遠縁の娘ということになっているけれど、老婆には妹と名乗ったのだろう。
 コンはハッとした。勢い込んで訊ねる。
「そなた、何故、それを知っている?」
 老婆の皺深い顔がいっそうほろこんだ。
「あたしは今朝、お嬢さまにとても良くして頂きました。それで、是非ともお礼にとこうして伺ったのです」
 ずっと立ち話は、この足腰の弱った老婦人には気の毒そうだ。コンはひとまず彼女を宿の室にと招き入れた。
 老婆は後生大切そうに抱えてきた風呂敷包みを解き、中から単布を取り出した。両手で捧げ持ち、恭しい手つきでコンの前に押しやった。
「これをお礼にと思い、お持ちしました。たった一人の孫の花嫁衣装を仕立てようと町の絹店で求めた品です。あたしのような貧乏人には分不相応な布ですけど、孫の嫁入りのときにあたしが仕立ててやろうと奮発したんですよ。結局、孫は晴れの日を迎えることもありませんでしたが、もしお嫌でなければ、是非とも、お嬢さんに貰って頂きたくて」
 虹のように輝く彩な布である。室の障子窓越しに差し込む光の加減によって、キラキラと色を変える様が得も言われず美しい。
 恐縮しながら差し出す老婆に、コンは心からありがたく受け取った。
「これは美しい布だ。都でもそうそう見かけない。真に頂いても良いのだろうか」
 コンの言葉は彼女を歓ばせたようだ。
「何でも清国渡りの上絹だそうです。お嬢さんなら、さぞお似合いでしょう」
 コンは今し方の老婆の言葉がどうにも気になっていたので、思い切って問うた。
「気を悪くしないで欲しいのだが、そなたは先ほど、ただ一人の孫は晴れの日を迎えることもなかったと言った。あれはー」
 流石にその先は言い淀めば、彼女は淋しげに微笑んだ。
「お察しの通りです。孫娘は既に亡くなり、この世の者ではありません」
 コンは絶句した。やはり、訊くべきではなかったのだ。が、老婆はかえって饒舌になったようで、思いがけないことを口にした。
「そういえば、旦那さま、お嬢さんが仰せでした。お二人は〝龍神の花嫁〟について極秘調査をなさっているとか」
 コンは息を呑み、老婆の陽に灼けた小さな顔を見つめた。
「いかにも、その通りだ」
 相槌を打ちながらも、何故、雪鈴がゆきずりの老婆に秘密を打ち明けたのか解せなかった。と、老婆が周囲をはばかるように忙しなく視線を動かし、声を落とした。
「ですので、あたしは、お嬢さんにうちの孫のことをお話ししたんですよ」
 コンもまた低めた声で応える。
「亡くなった孫娘と〝龍神の花嫁〟が関わりがあると?」
 それから老婆は雪鈴に話したのと同じ話を繰り返した。十五年前、当時、十一歳の孫娘が突然、姿を消し、二ヶ月後に龍穴と呼ばれる洞窟で骸となって見つかったこと。人柱のように水中に立てた杭に括り付けられ事切れていたことまで話した。
「ー」
 コンは言葉もなく、彼女の話に瞠目するばかりだ。更に老婆は雪鈴に七十年前、村史には〝大蛇騒動〟として記録されている事件の真相についても話したという。
「何しろ大昔のことですから、あたしも自分の眼で見たわけではありません。でも、姑は偽りを言うような人ではありませんでしたし、全部実際にあったことだと信じています」
 コンと雪鈴の推測は正しかったのだ。七十年前、龍江は何度目かの深刻な水涸れの危機に直面しており、初めて龍神の怒りを鎮めるとして、少女が人柱に立てられた。それが、忌まわしい〝龍神の花嫁〟の始まりだったのだ。
 老婆が去り際、残していった話は殊にコンの心を揺さぶった。
「あたしは孫が亡くなった場所に、桜の苗を植えたんです」
 彼女はそう言って儚く笑った。
「せめて孫が最期の瞬間を迎えた場所に、手向けの花を咲かせてやりたくて」
 今、桜は根付き、春には満開の花を咲かせるようになった。洞窟の中に咲く桜ー、コンには言葉で言われても想像がつかないけれど、春には美しい花を一杯につける桜は、非業の死を遂げた少女の魂が生まれ変わったのかもしれないし、たとえ違ったとしても、老婆の願い通り、娘の魂の慰めとなっているに違いなかった。
 老婆がいなくなった後、コンの瞼では蒼白い洞窟の中で爛漫と咲き誇る妖しいまでに美しい桜花が消えることはなかった。