第二話 韓流時代小説 龍神の花嫁~風舞う桜~【秘苑の蝶】
コンと晴れて両想いになった雪鈴は、セサリ町の小さな屋敷で穏やかな日々を紡いでいた。そんなある日、年若い女中のソンニョが冴えない顔をしてるのに気づく。理由を訊ねた雪鈴に、ソンニョは必死の面持ちで訴えるのだった。「妹が殺されてしまいます、どうか妹を助けて下さい」。
昔ながらの小さな農村に伝わる「龍神の花嫁」伝説をめぐる悲劇。「花嫁」が残酷な生け贄だと真相を知った雪鈴はコンと共に龍神伝説が伝わるハクビ村に赴くのだがー。
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次の瞬間、不安げに訴えた。
「でも、いきなり通りすがりの旅行者が頼んだところで、大切な公式文書を見せてくれるでしょうか」
コンがニヤリと口角を引き上げた。
「そんなときのために俺がいるんだ」
雪鈴も笑った。
「なるほど、そういうことですね」
雪鈴の不安は満更、杞憂というばかりではない。公式文書は機密扱いだから、気軽に誰でも閲覧できるのではないのだ。が、〝王族〟の特権を使えば、その身分だけで役人も見せざるを得ない。
雪鈴とコンは村を後にして、隣町の役場へと向かった。去り際、雪鈴は背後を振り返らずにはいられなかった。
無人のあの小さな家に、かつては十人を超える大家族が賑やかに暮らしていた。妹を案じながら亡くなったソンニョのためにも、彼らがこの国のどこかで末永く幸せに暮らしてゆけることを心から願った。
村から隣町までは歩いても知れている。二人は町の宿屋まで戻り昼食を済ませた後、役場を訪れた。二人が滞在する宿屋は飯屋も兼ねている。無口な年増の女将と娘らしい少女が二人でやっているが、料理はなかなかのものだ。
酒も出すとあって、夜は仕事帰りの男たちで賑わっている。むしろ、コンたちのように宿泊で利用する客の方が珍しいようだ。その証拠に、幾つかある客室に彼ら以外に客はおらず、雪鈴とコンは隣り合わせの二つの室を借りていた。
最初は夫婦者と間違われ、一つの室を用意されていたのだが、コンが女将と掛け合い別々の室にしてくれたのだ。
町役場は目抜き通りを抜けてしばらく歩いた場所にあった。位置としては、外れに当たる。
この近隣一帯を治めるのは県監(ヒョンガン)で、地方官としては最も地位は低い。治めるのも件(くだん)の村とこの町を含めて、せいぜいが数カ所だ。
役場もさほど大規模ではなく、こじんまりとしている。それでも門前には直立不動の守衛がおり、コンは守衛の一人に近づき用件を告げた。
まだ若い守衛は露骨に不審げな視線を向けている。
「県監さまは約束のない者には、お逢いにならん」
何度か押し問答しても、その一点張りだ。若いのに融通のきかない男だ。と、二人の応酬を見ていた年嵩の守衛が近寄った。
「失礼だが、身分証を見ても良いだろうか」
コンは頷き、袖から薄紫の巾着(チユモニ)と扇を取り出した。巾着から帯飾りを出し、広げた扇と重ねて差し出す。
帯飾りは蒼玉(ブルーサファイア)に龍が精緻に彫り込まれた逸品だ。扇は若竹が墨絵で描かれている。どちらも誕生時、王族男子に国王から下賜されるものだ。
帯飾りと扇を見た守衛は、はっきりと動揺した。
「これは」
五十手前ほどの男は打って変わり、コンに対して深々と腰を折った。
「申し訳ございません、大監さま(テーガンナーリ)。知らぬこととはいえ、ご無礼をお許し下さい。県監さまにすぐにお取り次ぎ致します」
コンと雪鈴はこうして第一関門は突破した。
二人が通されたのは、応接室らしい広間だった。横長の黒檀の長卓が置かれ、椅子が配置されている。コンが腰を下ろし、雪鈴もその向かいに座った。
待つほどもなく、きびきびとした足音が響き室の扉が開いた。
この地方一帯を治める男は、なかなかに威風堂々とした五十前後の県監である。男前というのとは違うが、眉の濃い意思的な顔立ちは、一度眼にしたら忘れられない鮮烈な印象を残すはずだ。
コンが立ち上がったので、雪鈴も倣った。
県監は丁重に頭を下げ挨拶をする。
「よもや王族の方がこのような田舎町にお見えになるとは思いもせず、とんだ失礼を致しましたこと、心よりお詫び申し上げます」
コンは鷹揚に笑った。
「突然、訪問したこちらが悪いのだ。気になさるな」
県監の視線が雪鈴に向けられ、コンが先に口を開いた。
「こちらは遠縁の娘で、妹分として面倒を見ている」
雪鈴は淑やかにお辞儀をした。
「ソン・ソリョンと申します」
県監が軽く頭を下げ、またコンに向き直る。
「まあ、おかけ下さい」
三人が座ったところで、県監が口を開いた。
「今日は、どのようなご用向きで?」
さて、流石のコンもどのように切り出すのか。雪鈴が息を呑んで見守る前で、コンが単刀直入に切り出した。
「ハクビ村の村史を見せて頂きたい」
県監がくっきりとした眼を忙しなくまたたかせた。
「ハクビ村の村史ですかー」
県監はわずかに逡巡し、更に思案するように眼を伏せた。
「あの村は特に珍しいものもなく、失礼ですが、都からわざわざ訪ねる酔狂な方はついぞ見たことがありませんが」
コンが笑った。
「根っからの変わり者ゆえ、都落ちして片田舎に隠棲したのです」
県監の顔がわずかに赤らんだ。
「これはご無礼を。失言をお許し下さい」
コンは首を振った。
「本当のことですから、構いません」
県監は小さく息をついた。
「本来、ハクビ村に限らず町村の公式文書は機密扱いとなります」
つまり、誰であろうと迂闊には見せられないと言いたいのだ。コンは袖から扇を取り出し、眼前でパッと広げた。扇越しに眼前の県監を一瞥する。
「それは一般人に限りでしょう。何事も例外はあるものです。そうではありませんか、使道(サツト)」
王族の証である扇を見せられたら、いかな県監でも引かねばならない。しかし、この男はあっさりと権力に屈する官吏ではなかったようである。
彼はコンの眼を見つめ返しつつ言った。
「どうしてもと仰せであれば、お見せは致します。ただ、せめて閲覧の理由をお聞かせ願えねば、私としても禁を破ることはできかねます」