韓流時代小説 秘苑の蝶~急に始まった陣痛、雪鈴は妊娠さえ未経験。でも助産師の代わりを務めることに | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

 

第一話 後編 韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。


  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛
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 コンが笑顔で頷いた。
「ああ、そなたにだけは言うが、雪鈴は俺にとって、最早ただ一人のかけがえのない女だ。たとえ地獄に棲まう鬼が彼女を渡せと来ても、渡すつもりはない」
 清明がこのときほど兄を頼もしく感じたことはなかった。
 と、突如として鋭い痛みを腹部に感じ、清明が小さく呻いた。
 コンが驚愕し、妹の肩を両手で支える。
「おい、清明、どうしたっ」
 清明は片手でこんもり膨らんだお腹を守るように抱いている。
「お腹がー痛いの」
 コンが悲痛な声を放った。
「何てことだ」
 やはり、出産も間近い妹には打撃を与えすぎたのかと後悔しても遅かった。
 異変に気づいた雪鈴がまろぶようにして駆けてくる。
「どうされました?」
 コンが困惑して言った。
「清明が腹が痛いと」
 雪鈴の顔色が変わった。
「何ですって」
 雪鈴は即座に言った。
「一刻も早く、お屋敷に戻りましょう」
 もしや、お産の始まりだとしたら厄介だ。清明は初産だから、普通ならば時間はかかるはずだけれど、中には愕くほど安産の妊婦もいる。そんな人は通常、半日余りかかるお産が何と数時間以内で終わるという。
 雪鈴は十六歳、もちろん出産はおろか妊娠の経験すらないのだ。が、親戚には年上の従姉も多く、その出産の現場にたまたま居合わせたことも一度きりだけれど、あるにはある。
 従姉はその時、二人目の出産で、それでも産気づいてから赤児が生まれるまで丸一日はかかった。
 今なら、本格的に出産が始まるまでに間に合うかもしれない。
 その間も、清明はお腹を押さえて呻いている。コンが焦りに満ちた口調で言った。
「これだけ痛がっているのに、連れて帰れるのか?」
 どれだけ急いでも、馬で一刻は要する距離だ。コンが呟いた。
「こうなると、輿を使うべきだったな」
 急な山道は輿を担ぐ者の負担が大きい。それを考えての馬だったが、予定日も近くなった妊婦を連れての遠出にはふさわしくなかったかもしれない。
 雪鈴が毅然として言った。
「たとえ無理でも、清明さまをお連れしなければなりません」
 このまま山の中で出産が始まっては大事だ。コンはこの時、見違えるように凜とした雪鈴を見て思った。
ーああ、彼女もやはり女なのだな。
 どんなに可憐な少女でも、いずれは新しい生命を宿し、母になる。その強さを内に秘めているのが女性なのだろう。
 いつもの雪鈴は大人しすぎるくらいで、内に一本しっかりとした芯を持っているのは判るが、何かを強く主張することはない。けれど、今の雪鈴を見るが良い。
 あたかも一瞬でコンより遙か年上になったかのように力強く頼もしい。コンは我が身がこれほど弱々しい存在だと感じたことは、一度たりともなかった。裏腹に、小さな年端もゆかぬ少女がこうも雄々しく大きく見えたことも、かつてなかった。
 コンは即座に反応した。
「よし、清明を連れて帰ろう」
 だがー。運命はどうやら、この時、コンたちにはどこまでもそっぽを向いてしまったようだ。
 頬に冷たいものを感じ、雪鈴もコンも茫然として空を振り仰いだ。あれほど晴れ渡り、燦々と陽光が輝いていた空はいつしかどす黒い雲が幾重にも覆い、不気味な嵐の予兆を告げていた。
 コンが彼らしくもなく毒づいた。
「畜生、何てことだ」
 このときも冷静になったのは雪鈴の方が早かった。
「どこか雨宿りする場所を」
 そんなものが都合良くあるわけがないだろう。叫び声が喉許まで出かかり、辛うじて堪える。これでは、単なる雪鈴への八つ当たりだ。
 このときも、彼はぼんやりと、やはり輿で来るべきだったと詮もない後悔をしていた。たとえ輿で来たとしても、この強い雨脚では長時間、輿の中で雨を避けることは無理があるだろうと理性では判っていた。
 雪鈴は決死の形相で周囲を見回している。

 雨は止むどころか、ますます強くなり、本降りになりそうな様相を呈している。コンは歯がみした。
 突然、雪鈴が指で前方をさした。
「あちらに何か見えます」
 コンも彼女が向けた方角を見る。
「なに?」
 雪鈴はキッとした様子で雨に煙る彼方を見定めるかのように眼をこらす。
「何かは判りませんが、ここからでは建物のようにも見えます。とにかく行きましょう」
 彼女の言う通りだった。この篠突く雨の中、臨月の妹をこれ以上ここに置いておくことはできない。
 コンは清明を抱き上げた。先頭を走る雪鈴について彼も走る。
 雪鈴の言う建物らしきものは雨の中、近くに見えるようでもあったが、意外に遠かった。コンは自分でも体力には自信があると思っていたけれど、この雨の中を身重の妹を抱えて走るのは流石に息が切れた。
 ようやっと建物らしきものが見えてきた。しかし、残念なことに、期待は無残に潰えた。それは建物ではなく、うち捨てられた炭焼き窯の跡にすぎなかった。
 眼の前に残酷な現実を突きつけられ、コンは脱力感のあまり、ぬかるんだ地面に膝を突くところだった。だが、自分の腕には妹とまだ生まれていない大切な生命がかかっている。
 辛うじて持ち堪えた彼は雪鈴に訴えた。
「清明が苦しそうだ」
 しかし、内心はもう駄目だ、ここまでだと諦めの境地でもあった。建物かもしれないと一縷の希望を抱いて駆けに駆けてきたものの、現実は炭焼き窯の残骸だ。
 やはり、物語のようにそうそう都合の良い展開にはならないのだろう。半ば自嘲気味に考えていた時、地面を打つ雨音に混じり、雪鈴の必死な声が彼の耳を打った。
「コンさま、炭焼き窯がここにあるということは、もしや近くに炭焼き小屋があるかもしれません」
 この窯の荒れようからして、果たして小屋があったとしても使用に耐えうるものかどうかは判らない。それでも、一刻なりとも雨風を凌げれば助かる。
 雪鈴は咄嗟に考えたことはおくびにも出さず、また走り出した。
「コンさまはここで清明さまをお願いします。私は少し先まで見て参りますゆえ」
 雪鈴は振り返り、頼もしく言うと走り去った。コンはじりじりしながら彼女を待ちわびた。
 自分の纏うチョゴリを脱ぎ、妹の上に掲げて少しでも雨よけにならないかと気遣った。清明は痛みのあまり、意識を手放してしまったのか、呻き声すら上げない。
 もしや、このまま妹は死んでしまうのではないか。コンは得体の知れない不安に飲み込まれそうになり、必死で踏みとどまった。
 今ここで恐怖心に飲み込まれてしまったら、妹はどうなる? 妹の腹に宿った甥か姪は?