韓流時代小説 秘苑の蝶~誘惑ー後宮へと連れてゆかれた私。美しき蝶は何を告げようとしているのかー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。

  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

*****

 絶対にコンには気持ちを悟られないようにしよう。雪鈴はこの日、自分を強く戒めたのだ。
 その夜、雪鈴はなかなか寝付けなかった。この屋敷に来てからはいつも安眠できていたのに、珍しいこともあるものだと自分でも思った。
 ふかふかの夜具は凍てつく北国の夜の寒さから守ってくれる。夜具に横たわり、雪鈴は淡い闇に浮かび上がる椿を見つめていた。コンから贈られた椿は、女中のソンニョが青磁の花器に活けてくれた。文机の傍ら、紫檀の円卓に置かれている。
 蝶型燭台の火も消し、室内は薄い闇に満たされている。月もない闇夜のため、室内はなおいっそう暗かった。
 何故、今夜に限って眼が冴えるのか。雪鈴には思い当たる節がない。幾度も床の中で寝返りを打っている中に、それでも浅い微睡みに落ちたようだ。
 気がつけば、雪鈴はまた夢の中にいた。夢を見ることそのものも久しぶりである。
 彼女は真っすぐな道を歩いている。以前のように視界は深い霧に閉ざされてもおらず、空気は澄み渡り、一本道のはるか彼方まで見渡せそうだ。
 だが、眼をこらしてみても、この長い道の彼方に何があるのかを確かめることはできない。道の両側に沿って紅椿が群れ咲いている。今朝、コンが持ってきてくれた艶やかな緋色の椿が道を彩り、道の果てまで続いている。なかなか圧巻の光景だ。
 突如として、雪鈴の眼前に一匹の蝶が飛んできた。銀色の美しい蝶には見憶えがある。
 雪鈴が崖から飛び降りた時、更には、この屋敷で見た前回の夢の中に現れたのだ。
 蝶の薄い羽は銀色、時に虹色に輝き、ひらひらと羽を動かす度、光の粒がキラキラと落ちる。とても美しい眺めだ。
 蝶はしばらく眼前に浮かび、やがて気紛れにふわふわと飛び始めた。前へ前へと進む様子は、雪鈴に〝ついて来い〟とでも言うかのようである。雪鈴は誘われるように、銀の蝶について前へと足を踏み出す。
 この時、雪鈴は悟った。この世のものとも思えぬ美しい銀蝶は、天の御遣(みつか)いではないのか。雪鈴の身に何か危急が起きた時、銀蝶は現れる。恐らく危急とは単に危険なときだけではなく、大きな運命の変化をも指しているのだろう。
 ならば、また夢に蝶が現れたのは我が身に何か起こる予兆ともいえるのかもしれない。
 蝶は雪鈴を待つように止まり、また忙しなく羽を動かしながら少しずつ前へ飛んでゆく。やはり、雪鈴をどこかへ導くかのようだ。
 雪鈴は銀の蝶に道案内されるままに、ひと筋の道をゆっくりと進んだ。道の両脇には変わらず艶やかな紅椿が揺れている。
 ふと蝶がかき消え、雪鈴は眼をまたたかせた。
ーここはどこなの?
 道はずっとまだまだ遠くまで続いているようなのに、何故か行き止まりになっていると感じた。現実ではあり得ないことだけれど、見えない透明な壁のようなものが視界の向こうと雪鈴が立つ場所を遮っている。
 刹那、雪鈴は驚愕に呼吸が止まるかと思った。長く伸びた道が一瞬でかき消えた。見えない壁の向こうに広がるのは、壮麗な甍を頂いた極彩色の御殿だったからだ。地方で生まれ育った雪鈴は王さまが棲まわれるという宮殿を見たことはない。ただ絵物語に描かれた挿絵で眼にしたことはある。
 今、眼前に、絵物語でしか見たことのない王宮が広がっていた。眼にも眩しい御殿は一つのみならず、幾つも連なり合うように建っている。実際の王宮は絵に描かれたものより、いっとう綺麗で見事だ。
 雪鈴は見えない壁の前に佇み、偉容を誇る美しい宮殿に圧倒されるしかない。
 そこで、雪鈴の意識はフゥっと途切れた。
次に気がついたのは、もう馴染んだ居室の夜具の中だ。昨夜と変わりなく、数輪の紅椿が艶やかに咲き誇っていた。
 雪鈴は床の上に身を起こした。まだ夜明け前の薄青さが室内に夜の名残を残している。
 白み始めた室内の中で、椿の緋色だけがやけに鮮明に際立って見えた。
 雪鈴は手のひらで額を押さえ、軽く眉間を揉んだ。
 あの得体の知れない夢は一体、何だったのだろう。何故、銀の蝶は我が身にあんな夢を見せたのか。仮に銀蝶が導き役なのだとしたら、夢の中で蝶が自分を王宮に連れていったその意味はー。
 判らない。雪鈴は小さな息を吐き出した。もう考えるのは止そう。あの蝶が人生を導いてくれるなんて、それこそ小説でもあるまいに、有り得るはずがない。ここのところ、あまりに人生が激変しすぎたから、自分はありもしない妄想に取り憑かれてしまったのだ。。
 雪鈴は思考を無理に切り替え、勢いよく布団から出た。途端に早朝の寒気が一挙に押し寄せる。
「寒さなんかに負けてはいられないでしょ、孫雪鈴」
 自分を鼓舞するかのように拳を握り固める。
 今日はいよいよ仕事始めだ。コンの優しさに報いるためにも、気張って働かねばならない。雪鈴の吐く息が白く朝の大気に溶けた。

 最初の仕事は、コンの着替えの手伝いだった。雪鈴自身、初めて知ったのだが、朝一番にスチョンが現れ、雪鈴の仕事はコンの身の回りの世話だと告げられたのだ。この屋敷にどれだけの使用人がいるかは詳しくは知らないけれど、せいぜい数人程度のようである。
 屋敷の主人であるコンの乳母スチョンは実質、女中を束ねる女中頭のようなものだから、雪鈴の仕事内容はコンとスチョンが相談して決めたのだろう。
 これまでよりは少し早めの朝食を終えた後、スチョンが室まで迎えにきた。
 早速、仕事場に向かいながら、雪鈴は生真面目に言った。
「では、上女中として働けば良いのですね」
 当主並びに当主の家族に直接仕えるのは上級使用人であり、下級使用人は当主一族の顔を見る機会は滅多にない。要するに下働きである。
 雪鈴の言葉に、スチョンが苦笑した。
「別に、そういうわけじゃありませんよ。旦那さまはお嬢さまに本気で仕事をさせたいわけじゃないんですから。むしろ、お嬢さまには今まで通り、寛いでおいでになって欲しいんだと思いますよ」
 雪鈴が何か仕事をさせてくれと懇願するから、コンが根負けしたということなのだろう。
 雪鈴は俄然張り切って言った。
「皆さまの期待を裏切らないように頑張ります」
 スチョンは更に呆れ顔だ。
「いや、だから、あたしは別にお嬢さまに期待しては」
 言いかけたところで、スチョンは止まった。どうやら、この扉の向こうがコンの室らしい。
 スチョンが小さく咳払いした。
「マ、せいぜい頑張って下さいまし」
 スチョンが声を張り上げた。
「旦那さま、おはようございます」
「ああ、おはよう」
 すぐにコンの声が聞こえ、スチョンを先頭に雪鈴も部屋に足を踏み入れる。スチョンは両手に黒塗りの衣裳箱を捧げ持っていた。
 くるりと振り返り、てきぱきと指示を出す。
「こちらが旦那さまのお召し替えです」
 雪鈴は頷いて、スチョンから衣装箱を受け取った。
「畏まりました」