妊娠中でも寵愛を受けすぎて若くして亡くなった悲劇の姫君~光る君へ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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今シーズンの注目ドラマ

 

 

 

 

 

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皆様、こんにちは。

 

 今日は節分、豆まきの日ですね。

 

 そして、明日は立春🌸

 

 待ちに待った春です!

 

 まあ、あくまでも暦の上だけですけど、、、

 

 でも、やはり春が近づくとワクワクします、気分が上がります🔥

 

 既に何度か書いているように、一年前にほどなく自分の身に起こる大きな異変を知りもせず

 

 暢気に春を待ちわびていた自分、、、

 

 そんなことを考えると、不安になるのですが。

 

 しかし、考えても意味がないし、状況が変わるわけでもない。

 

 また、結果としては良かったのだから、これは不幸中の大きな幸いであったと

 

 むしろ、あの時点で病気が判って本当に良かったんだ、助かったんだと、、、考えるようにしたいです。

 

 さて、前置きが長くなりましたが、今日も大河ドラマ「光る君へ」を視聴しました☆

 

 面白いですね~。

 

 前回は次女とお宮さんにお詣りにいったので、一回飛んでしまいました(>_<)

 

 でも、殆ど違和感なく見られました。

 

 今日も印象に残ったシーンにスポットを当ててみたいと思います。

 

 これ、メインの出来事ではないんですけど、、、

 

 

 

師貞親王が即位し、花山天皇になる。帝ど寵姫藤原祇子との運命の出逢い

 

  円融天皇が譲位し、ついに花山天皇が即位しました。

 

  この方は残念ながら、歴史上でも「残念な天皇」として名を残していますすね。

 

 

 

 

 

 

  割と奇行・蛮行が多い方であったともいわれています。

 

  ドラマではサラリと流すだけでしたが、まず、即位礼の時、帝がおわします高御座の

 

  中に側にいた美しい女官を引き込んで、淫行に及んだという逸話があります。

 

  初めて知った時、私は「マジか?」(´д`) と耳を疑いました。

 

  ドラマか小説なら判るけど、本当にそんなことをした人がーしかも帝がいるなんて。

 

  ドラマ内でも、花山帝が即位して、後の寵姫となる藤原祇子が入内したシーンはありましたね。

 

   二人の「初夜」シーンがチラリと出ましたが。 

 

  帝が祇子の手を赤い紐のようなもので縛っていた(゚o゚;

 

  NHKがここまで描くのかと、これも(゚o゚;でしたが。

 

  「帝の緊縛シーン」?

 

   流石に、実在の帝にこんな趣味があったかどうかまでは判らないですが、、、

 

   即位礼で女官を引っ張り込んだことを考えれば、緊縛の趣味があっても愕かないかな。

 

   この帝は、後に藤原尹周(一条天皇ー詮子の産んだ懐仁親王ーの中宮定子の兄)と女性を争い、また醜聞を引き起こすことになります。

 

   祇子は「弘徽殿女御」と呼ばれ、それこそ眩しいほどの帝の寵愛を受けました。

 

   父の望みを叶えて見事に懐妊しますが、妊娠7ヶ月の時、胎内に御子を宿したまま

 

   亡くなります。

 

   祇子の死因については、妊娠中毒症であったという説もあれば、

 

   祇子を愛しすぎるあまり、帝が妊娠中にも拘わらず閨に召し続けたー

 

   はっきり言うと、妊娠中の女性に性行為を続けたために、祇子が体調を崩してしまったとも

 

   いわれています。

 

   つまり、あまりに房事過多が祇子の身体を弱らせてしまったのですね。

 

   亡くなった時、祇子はまだ十七歳の若さでした。

 

   禁中ー内裏では妊娠した后妃は妊娠5ヶ月には実家へ下がります。

 

   お産は穢れを伴うとされていたため、帝のおわす内裏ではできません。

 

   そのため、妊娠5ヶ月を過ぎれば、后妃が帝に召されることも自然になくなるのです。

 

   しかし、祇子は妊娠5ヶ月を過ぎても、帝の寵愛を受け続けました。

 

   帝は本当に祇子を愛していたのでしょうか。

 

   愛する大切な妻、しかも自分の子を宿している女性であれば、

 

   余計にその身を労ってあげなければいけません。

 

   帝に祇子への愛が無かったとはいいませんが、やはり、

 

   妻への労りよりは、自分の男としての欲望を優先させた結果、

 

   祇子は生命を縮めることになったように思えます。

 

   花山天皇の在位は短いです。

 

   

 

寵姫を失い、哀しみに暮れる花山天皇。藤原道兼は傷心の帝にしきりに退位を勧めた

 

   これも一応、歴史に残っています。

 

   身重のまま祇子が亡くなると、花山天皇は深い悲嘆に沈みます。

 

   嘆くくらいなら、生きている中に労ってあげれば良いのにとは思いますが、、、

 

   とにかく、寵愛する女御を失い、日々、嘆いてばかりでした。

 

   そこに、道兼がつけいります。

 

   ー亡くなられた女御様のご供養のためにも、東宮様に譲位なさって、ご出世なされませ。

 

   心の弱くなった帝を唆し、まんまと退位させてしまうのです。

 

   花山天皇の後は、東宮であった懐仁親王が即位しました。

 

   ドラマでも描かれているように、兼家の娘詮子が産んだ皇子ですね。道兼には甥にあたります。

 

   このときから、藤原北家は全盛期に向かってスタートしたわけです。

 

   花山天皇は退位した後、冷静になってみて初めて自分が道兼の術中にまんまと填まったことを悟りました。

 

   でも、もう遅いですね。

 

   

 

 

 

藤原詮子、帝への切ない恋慕の情

 

  一方、どれだけ恋い焦がれても、帝に振り向いて貰えない気の毒な女御もいました。

 

  これから栄華の階を駆け上ることになる兼家の娘詮子です。

 

  彼女は父の願いを叶えて見事に皇子の母となり、藤原北家に全盛期をもたらしました。

 

  また、女性としては初の女院号を賜り、東三条院となります。

 

  国母として女院として栄華を極めた詮子ではありましたが、、、

 

  一方で、女性としての幸せは縁遠かったかもしれませんね。

 

  円融天皇がいよいよ退位すると聞き、別居中の詮子は内裏まで挨拶に上がります。

 

  しかし、夫からは冷たく突き放されました。

 

  ーそなたと兼家が朕に毒を飲ませたのだ、思い通りになって嬉しかろう。もう二度と朕の前に姿を見せるな。

 

  勺まで投げつけられた詮子の白い頬には無残な傷跡がありました。

 

  ここは可哀想で見ていられませんでした。

 

  果たして、このシーンがどこまで史実に即しているかはともかくとして、

 

  詮子と帝があまり仲睦まじい夫婦ではなかったらしいーという逸話もあるようです。

 

  祇子のように死ぬほど愛される女御もいれば、

 

  その一方で、愛されたいと願いながら、振り向いて貰えなかった哀しい女御もいる。

 

  祇子と詮子の生涯は比べてみれば、本当に真逆です。

 

  女性として愛される幸せを得たのは祇子ですが、、、

 

  彼女は折角、早々に身籠もった御子を産むことさえできず、儚く散りました。

 

  一方で、詮子は帝の一粒種、しかも皇子をあげて自身ばかりか一族に史上最高の栄華をもたらしたのです。

 

  女としての幸せ度は祇子がダントツですが、

 

  世間的な「成功度」から見れば、間違いなく詮子に軍配が上がるでしょう。

 

  一体、どちらが幸せなのか?

 

  それは現在の女性の生き方にも通ずるものがあります。

 

  キャリアを得るか、女としての幸せを得るか。

 

  しかし、現在は良い時代となり、女性としての幸せもキャリアも両方を得て

 

  活躍している女性はたくさんいます。

 

  そう考えると、やはり平安時代というのはまだまだ閉鎖的で女性は生きにくい時代であったと

 

  いえるでしょう。

 

  

 

紫式部が「五節の舞姫」に選ばれた?

 

  、、、はずはないですね💦

 

  これは、流石にフィクションだと私にも判りました。

 

  しかし、五人の美しい姫君が古式ゆかしい装束で舞う姿は美しかったですね。

 

  目の保養になりました。

 

  ここのところ、韓国の時代物ばかり描いている私ですが。

 

  「光る君へ」を見ていると、久々に日本の時代物も描いてみたいなぁと意欲が湧きます。

 

  日本の文化も当たり前だけど、素晴らしい。

 

  世界に誇ることのできる、素晴らしい文化を持つ国に生まれたことを誇りに思います。

 

 

☆お詫びー記事に一部、史実と異なる記述がございましたことをお詫び申し上げます。

 

 現在は訂正しております。