韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】
嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。
朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。
朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。
ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛
*****
雪鈴の手のひらで、繊細な蝶は銀色に輝きながら、薄いやわらかな羽をうごめかしている。雪鈴は蝶を驚かせないように、そっと言った。
ーありがとう。
あの世がこんなに美しい場所なら、短い生涯を終えたことをそこまで嘆く必要もないのかもしれない。
ふいに、蝶が舞い上がった。
ー待って、行かないで。
私を独りぼっちにしないで。雪鈴は手を伸ばし叫ぼうとしたが、声が出ない。雪鈴の願いも空しく、銀の蝶はひらひらと舞い上がり、白い霧に飲み込まれた。いつしか数多いた、たくさんの銀蝶たちも姿を消していた。
ああ、私はまた一人ぼっちになってしまった。
雪鈴が哀しみと絶望に飲み込まれそうになった時、差し伸べた手を誰かがしっかりと掴んだ。
ーこれは誰なのかしら。
翳(かげ)を落とす長い睫を震わせ、雪鈴は眼を開いた。
確かに、誰かが我が手を握ってくれている。雪鈴は考えた。あの世にも親切な人がいるのだ。
けれど、それにしても少し変だ。今、雪鈴は柔らかな布団に寝かされていて、この極上の肌触りは恐らく絹だ。
もしや自分は助かったのか? 刹那、よぎったのは安堵より絶望だったかもしれない。仮に奇跡的に助かったとしても、遠からず失う生命なのだ。崔家の義父母は今度こそ有無を言わせず雪鈴を殺そうとするだろう。
あの義両親は何としても崔家から烈女を出すつもりなのだから。
死の苦痛と恐怖を二度も味わうほどなら、いっそのこと、ひと思いに死ねれば良かったのだ。その方が幸せだった。
視線を動かすと、その先には若い男がいた。目鼻立ちの整った美男子だ。雪鈴の三人の兄たちも秀麗な面立ちをしているが、兄たちは足下にも寄れないだろう。
今、雪鈴の手をしっかと握っているのは、あろうことか、その男だ。雪鈴は狼狽え、男の手から自分の手を引き抜こうとした。しかし、男の手は絡みついたように離れない。
「あの、私は死んだのではないでしょうか」
疑問を口に乗せると、男がひそやかに笑った。
「いや、そなたはどうやら助かったようだぞ。それがそなたにとって幸いなのか残念ながらと言うべきなのか、俺には判らないが」
雪鈴は少し考え、続けた。
「助けて下さって、ありがとうございます。でも、お言葉を返すようですが、私にとっては、〝残念ながら〟です」
ややあって男の美しい面に微苦笑が立ち上った。
「なるほど。その理由を聞かせて貰っても構わないだろうか」
雪鈴は言った。
「まずは、手を放して頂けませんか」
ああ、と、男が今更気づいたように言う。
「済まない。そなたがやっと目覚めたので、つい嬉しくてね」
彼はずっと側にいてくれたのだろうか。見たところ、身なりも立派だし、隠しきれない気品がある。洗練された物腰を見れば、男が両班であるのは明らかだ。
しかし、両班ー特に地方で暮らす両班たちの世界は広いようで狭い。両班に助けられたとすれば、この男から婚家に報せがゆくのも先のことではなかろう。既に連絡が行っているかもしれない。
崖から身を投げた時、我が命運は尽きたものだと信じていた。義両親が雇った刺客に滅多殺しにされるよりは飛び降りて死んだ方がマシだと思ったのだ。
自分はどうやらまだ生きているらしい。あまりに予期せぬ展開に、思考がついてゆかない。バラバラになった思考をまとめるには、時間と冷静さが必要だった。
だが、この男が側にいる限り、難しいような気がする。この見知らぬ男は何故か雪鈴の心を落ち着かなくさせるようだ。
まずは自分が置かれている状況を把握するべきだろう。雪鈴は思いつくままに言葉を紡いだ。
「ここは、どこですか?」
見たところ、女性の室らしい華やかな飾りつけがされている。男の纏う衣服同様、両班の棲まいに相違ない。
男の返事は実に簡潔だった。
「俺の屋敷だ」
ややあって問われた。
「他に質問は?」
横たわったまま、雪鈴はかすかに首を振る。
男が軽く頷いて見せた。
「では、俺から質問をさせて貰おう」
雪鈴は応えた。
「お応えできることであれば何でも」
男が破顔した。
「応えられないことまで訊き出すつもりはない。安心せよ」
とにもかくにも、この眼の前の男は生命の恩人だ。たとえ雪鈴の生命をこの男が救うことで、自分のただでさえ複雑な運命を更に厄介なものにしたのだとしても、彼に罪はない。誰でも死にゆく人が側にいれば、全力で救おうとするのは当たり前だ。
「そなたの名前は?」
雪鈴は黙ってかぶりを振った。
男がわずかに首を傾けた。
「フム。名前は明かせぬ。では、このような仕儀にあいなった理由は?」
つまり、男が自分を見つけたときの悲惨な状況に至る経緯を問われているのだ。
雪鈴はこれにも黙って首を振る。
「救って頂きながら、生命の恩人であるあなたに何も申し上げられないことがどれだけ失礼かは存じております」
男がやわらかに笑った。
「気にするな。誰でも生きていれば、他人に詮索されたくない傷の一つ二つはある。俺など、叩けば出る埃が多すぎるほどだ」
やや自嘲気味に言い、言葉とは裏腹に彼は明るく笑う。
次の瞬間、男の顔から笑いが消えた。
「だがな、よくよく考えてみよ。そなたが姿を消して、嘆き哀しんでいる家族がおるのだぞ。父や母は、そなたの無事を知れば歓ぼう。家族にだけは無事を教えるべきではないか」
刹那、雪鈴の身体に震えが走った。
死ね、死ねと自分に迫った崔家の義両親、更に娘を庇おうともせず、あっさりと見限った実の両親。どちらも思い出したくもない人たちの顔だ。あれを家族と呼ばねばならないなら、いっそ家族などいない方が良い。
自分でも震えるのが恐怖からなのか、怒りからなのかは判らなかった。小刻みに震えながら、雪鈴は言った。
「心配している家族なんて、誰もいません。むしろ、私が死ねば良いと皆が思っています」
刹那、男が鋭く息を呑んだ。彼はしばらく感情の窺えない瞳で見つめていたかと思うと、フと笑った。
雪鈴の手のひらで、繊細な蝶は銀色に輝きながら、薄いやわらかな羽をうごめかしている。雪鈴は蝶を驚かせないように、そっと言った。
ーありがとう。
あの世がこんなに美しい場所なら、短い生涯を終えたことをそこまで嘆く必要もないのかもしれない。
ふいに、蝶が舞い上がった。
ー待って、行かないで。
私を独りぼっちにしないで。雪鈴は手を伸ばし叫ぼうとしたが、声が出ない。雪鈴の願いも空しく、銀の蝶はひらひらと舞い上がり、白い霧に飲み込まれた。いつしか数多いた、たくさんの銀蝶たちも姿を消していた。
ああ、私はまた一人ぼっちになってしまった。
雪鈴が哀しみと絶望に飲み込まれそうになった時、差し伸べた手を誰かがしっかりと掴んだ。
ーこれは誰なのかしら。
翳(かげ)を落とす長い睫を震わせ、雪鈴は眼を開いた。
確かに、誰かが我が手を握ってくれている。雪鈴は考えた。あの世にも親切な人がいるのだ。
けれど、それにしても少し変だ。今、雪鈴は柔らかな布団に寝かされていて、この極上の肌触りは恐らく絹だ。
もしや自分は助かったのか? 刹那、よぎったのは安堵より絶望だったかもしれない。仮に奇跡的に助かったとしても、遠からず失う生命なのだ。崔家の義父母は今度こそ有無を言わせず雪鈴を殺そうとするだろう。
あの義両親は何としても崔家から烈女を出すつもりなのだから。
死の苦痛と恐怖を二度も味わうほどなら、いっそのこと、ひと思いに死ねれば良かったのだ。その方が幸せだった。
視線を動かすと、その先には若い男がいた。目鼻立ちの整った美男子だ。雪鈴の三人の兄たちも秀麗な面立ちをしているが、兄たちは足下にも寄れないだろう。
今、雪鈴の手をしっかと握っているのは、あろうことか、その男だ。雪鈴は狼狽え、男の手から自分の手を引き抜こうとした。しかし、男の手は絡みついたように離れない。
「あの、私は死んだのではないでしょうか」
疑問を口に乗せると、男がひそやかに笑った。
「いや、そなたはどうやら助かったようだぞ。それがそなたにとって幸いなのか残念ながらと言うべきなのか、俺には判らないが」
雪鈴は少し考え、続けた。
「助けて下さって、ありがとうございます。でも、お言葉を返すようですが、私にとっては、〝残念ながら〟です」
ややあって男の美しい面に微苦笑が立ち上った。
「なるほど。その理由を聞かせて貰っても構わないだろうか」
雪鈴は言った。
「まずは、手を放して頂けませんか」
ああ、と、男が今更気づいたように言う。
「済まない。そなたがやっと目覚めたので、つい嬉しくてね」
彼はずっと側にいてくれたのだろうか。見たところ、身なりも立派だし、隠しきれない気品がある。洗練された物腰を見れば、男が両班であるのは明らかだ。
しかし、両班ー特に地方で暮らす両班たちの世界は広いようで狭い。両班に助けられたとすれば、この男から婚家に報せがゆくのも先のことではなかろう。既に連絡が行っているかもしれない。
崖から身を投げた時、我が命運は尽きたものだと信じていた。義両親が雇った刺客に滅多殺しにされるよりは飛び降りて死んだ方がマシだと思ったのだ。
自分はどうやらまだ生きているらしい。あまりに予期せぬ展開に、思考がついてゆかない。バラバラになった思考をまとめるには、時間と冷静さが必要だった。
だが、この男が側にいる限り、難しいような気がする。この見知らぬ男は何故か雪鈴の心を落ち着かなくさせるようだ。
まずは自分が置かれている状況を把握するべきだろう。雪鈴は思いつくままに言葉を紡いだ。
「ここは、どこですか?」
見たところ、女性の室らしい華やかな飾りつけがされている。男の纏う衣服同様、両班の棲まいに相違ない。
男の返事は実に簡潔だった。
「俺の屋敷だ」
ややあって問われた。
「他に質問は?」
横たわったまま、雪鈴はかすかに首を振る。
男が軽く頷いて見せた。
「では、俺から質問をさせて貰おう」
雪鈴は応えた。
「お応えできることであれば何でも」
男が破顔した。
「応えられないことまで訊き出すつもりはない。安心せよ」
とにもかくにも、この眼の前の男は生命の恩人だ。たとえ雪鈴の生命をこの男が救うことで、自分のただでさえ複雑な運命を更に厄介なものにしたのだとしても、彼に罪はない。誰でも死にゆく人が側にいれば、全力で救おうとするのは当たり前だ。
「そなたの名前は?」
雪鈴は黙ってかぶりを振った。
男がわずかに首を傾けた。
「フム。名前は明かせぬ。では、このような仕儀にあいなった理由は?」
つまり、男が自分を見つけたときの悲惨な状況に至る経緯を問われているのだ。
雪鈴はこれにも黙って首を振る。
「救って頂きながら、生命の恩人であるあなたに何も申し上げられないことがどれだけ失礼かは存じております」
男がやわらかに笑った。
「気にするな。誰でも生きていれば、他人に詮索されたくない傷の一つ二つはある。俺など、叩けば出る埃が多すぎるほどだ」
やや自嘲気味に言い、言葉とは裏腹に彼は明るく笑う。
次の瞬間、男の顔から笑いが消えた。
「だがな、よくよく考えてみよ。そなたが姿を消して、嘆き哀しんでいる家族がおるのだぞ。父や母は、そなたの無事を知れば歓ぼう。家族にだけは無事を教えるべきではないか」
刹那、雪鈴の身体に震えが走った。
死ね、死ねと自分に迫った崔家の義両親、更に娘を庇おうともせず、あっさりと見限った実の両親。どちらも思い出したくもない人たちの顔だ。あれを家族と呼ばねばならないなら、いっそ家族などいない方が良い。
自分でも震えるのが恐怖からなのか、怒りからなのかは判らなかった。小刻みに震えながら、雪鈴は言った。
「心配している家族なんて、誰もいません。むしろ、私が死ねば良いと皆が思っています」
刹那、男が鋭く息を呑んだ。彼はしばらく感情の窺えない瞳で見つめていたかと思うと、フと笑った。
雪鈴の手のひらで、繊細な蝶は銀色に輝きながら、薄いやわらかな羽をうごめかしている。雪鈴は蝶を驚かせないように、そっと言った。
ーありがとう。
あの世がこんなに美しい場所なら、短い生涯を終えたことをそこまで嘆く必要もないのかもしれない。
ふいに、蝶が舞い上がった。
ー待って、行かないで。
私を独りぼっちにしないで。雪鈴は手を伸ばし叫ぼうとしたが、声が出ない。雪鈴の願いも空しく、銀の蝶はひらひらと舞い上がり、白い霧に飲み込まれた。いつしか数多いた、たくさんの銀蝶たちも姿を消していた。
ああ、私はまた一人ぼっちになってしまった。
雪鈴が哀しみと絶望に飲み込まれそうになった時、差し伸べた手を誰かがしっかりと掴んだ。
ーこれは誰なのかしら。
翳(かげ)を落とす長い睫を震わせ、雪鈴は眼を開いた。
確かに、誰かが我が手を握ってくれている。雪鈴は考えた。あの世にも親切な人がいるのだ。
けれど、それにしても少し変だ。今、雪鈴は柔らかな布団に寝かされていて、この極上の肌触りは恐らく絹だ。
もしや自分は助かったのか? 刹那、よぎったのは安堵より絶望だったかもしれない。仮に奇跡的に助かったとしても、遠からず失う生命なのだ。崔家の義父母は今度こそ有無を言わせず雪鈴を殺そうとするだろう。
あの義両親は何としても崔家から烈女を出すつもりなのだから。
死の苦痛と恐怖を二度も味わうほどなら、いっそのこと、ひと思いに死ねれば良かったのだ。その方が幸せだった。
視線を動かすと、その先には若い男がいた。目鼻立ちの整った美男子だ。雪鈴の三人の兄たちも秀麗な面立ちをしているが、兄たちは足下にも寄れないだろう。
今、雪鈴の手をしっかと握っているのは、あろうことか、その男だ。雪鈴は狼狽え、男の手から自分の手を引き抜こうとした。しかし、男の手は絡みついたように離れない。
「あの、私は死んだのではないでしょうか」
疑問を口に乗せると、男がひそやかに笑った。
「いや、そなたはどうやら助かったようだぞ。それがそなたにとって幸いなのか残念ながらと言うべきなのか、俺には判らないが」
雪鈴は少し考え、続けた。
「助けて下さって、ありがとうございます。でも、お言葉を返すようですが、私にとっては、〝残念ながら〟です」
ややあって男の美しい面に微苦笑が立ち上った。
「なるほど。その理由を聞かせて貰っても構わないだろうか」
雪鈴は言った。
「まずは、手を放して頂けませんか」
ああ、と、男が今更気づいたように言う。
「済まない。そなたがやっと目覚めたので、つい嬉しくてね」
彼はずっと側にいてくれたのだろうか。見たところ、身なりも立派だし、隠しきれない気品がある。洗練された物腰を見れば、男が両班であるのは明らかだ。
しかし、両班ー特に地方で暮らす両班たちの世界は広いようで狭い。両班に助けられたとすれば、この男から婚家に報せがゆくのも先のことではなかろう。既に連絡が行っているかもしれない。
崖から身を投げた時、我が命運は尽きたものだと信じていた。義両親が雇った刺客に滅多殺しにされるよりは飛び降りて死んだ方がマシだと思ったのだ。
自分はどうやらまだ生きているらしい。あまりに予期せぬ展開に、思考がついてゆかない。バラバラになった思考をまとめるには、時間と冷静さが必要だった。
だが、この男が側にいる限り、難しいような気がする。この見知らぬ男は何故か雪鈴の心を落ち着かなくさせるようだ。
まずは自分が置かれている状況を把握するべきだろう。雪鈴は思いつくままに言葉を紡いだ。
「ここは、どこですか?」
見たところ、女性の室らしい華やかな飾りつけがされている。男の纏う衣服同様、両班の棲まいに相違ない。
男の返事は実に簡潔だった。
「俺の屋敷だ」
ややあって問われた。
「他に質問は?」
横たわったまま、雪鈴はかすかに首を振る。
男が軽く頷いて見せた。
「では、俺から質問をさせて貰おう」
雪鈴は応えた。
「お応えできることであれば何でも」
男が破顔した。
「応えられないことまで訊き出すつもりはない。安心せよ」
とにもかくにも、この眼の前の男は生命の恩人だ。たとえ雪鈴の生命をこの男が救うことで、自分のただでさえ複雑な運命を更に厄介なものにしたのだとしても、彼に罪はない。誰でも死にゆく人が側にいれば、全力で救おうとするのは当たり前だ。
「そなたの名前は?」
雪鈴は黙ってかぶりを振った。
男がわずかに首を傾けた。
「フム。名前は明かせぬ。では、このような仕儀にあいなった理由は?」
つまり、男が自分を見つけたときの悲惨な状況に至る経緯を問われているのだ。
雪鈴はこれにも黙って首を振る。
「救って頂きながら、生命の恩人であるあなたに何も申し上げられないことがどれだけ失礼かは存じております」
男がやわらかに笑った。
「気にするな。誰でも生きていれば、他人に詮索されたくない傷の一つ二つはある。俺など、叩けば出る埃が多すぎるほどだ」
やや自嘲気味に言い、言葉とは裏腹に彼は明るく笑う。
次の瞬間、男の顔から笑いが消えた。
「だがな、よくよく考えてみよ。そなたが姿を消して、嘆き哀しんでいる家族がおるのだぞ。父や母は、そなたの無事を知れば歓ぼう。家族にだけは無事を教えるべきではないか」
刹那、雪鈴の身体に震えが走った。
死ね、死ねと自分に迫った崔家の義両親、更に娘を庇おうともせず、あっさりと見限った実の両親。どちらも思い出したくもない人たちの顔だ。あれを家族と呼ばねばならないなら、いっそ家族などいない方が良い。
自分でも震えるのが恐怖からなのか、怒りからなのかは判らなかった。小刻みに震えながら、雪鈴は言った。
「心配している家族なんて、誰もいません。むしろ、私が死ねば良いと皆が思っています」
刹那、男が鋭く息を呑んだ。彼はしばらく感情の窺えない瞳で見つめていたかと思うと、フと笑った。
嘲るでもなく、憐れむでもないその笑みはどうしてだか、雪鈴の泡立っていた心を落ち着かせてくれる。
「よほどの事情がありそうだな。良かろう、約束した通り、そなたが話したくないなら、何も話さなくて良い」
男が袖から何やら取り出した。
「そうだ、これを渡しそびれるところであった」
大きな手のひらに、ちょこんと白兎が鎮座している。
雪鈴は思わず小さく声を上げた。
「あ」