韓流時代小説 後宮に蝶は舞いてー別れは突然すぎてーそれでも、あなたは夫であり私は貴方の妻だった | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。

  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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 こんなことになるなら、側を離れるのではなかったと後悔しても遅い。どうせ引き留められない生命ならば、ここにいれば良かった。そうすれば、彼を心淋しく一人で逝かせることはなかった。
 それでも、まさか健やかそのものに見えた良人が突然発作を起こし、そのまま旅立つなどと誰が考えるだろう? 雪鈴は突発的事態に狼狽えながらも、ハソンの指示通り薬を飲ませ、少し容態が落ち着いたのを確認して医者を呼びに側を離れた。どこにも落ち度はない。
 けれど、雪鈴は優しい良人がたった一人、孤独に永の旅路に発ったことが無性に哀しかった。せめて側にいて最期のときは手をしっかりと握っていてあげたかった。
 雪鈴は大粒の涙を流しながら、ハソンの手を取り、しっかりと握った。
「ごめんなさい、あなた」
 優しい男だった。共に過ごしたのはまだ五日にすぎなかったけれど、ハソンの優しさや穏やかな人柄を知るには十分だった。
 雪鈴が良人の手を取ったまま泣いていると、突如として怒声が上がった。
「何をしておる、どくのだ」
 崔家夫人、義母である。義母の横には小柄な男が佇んでいる。ひとめで医者だと判った。ーもう、ハソンさまは亡くなられてしまいました。
 到底告げられるはずもない。雪鈴が緩慢な動作で立ち上がろうとすると、横から突き飛ばされた。
「愚図愚図するな。のけよっ」
 恰幅の良い義母が思いきり体当たりしてきたものだから、堪らない。雪鈴の華奢な身体は鞠のように飛び、弾みで床にしたたか身体を打ち付けた。
 義母が悲鳴のような声で言う。
「先生、早く息子を診てやって下さい」
 老医師がハソンを診察している。脈を取り、眼を開かせたりしているのを、雪鈴はぼんやりと眺めていた。起き上がる気力さえなかった。
 老医師が無言で首を振る。義母が噛みついた。
「先生、ハソンに治療をしてやって下さい」
 医師は沈痛な面持ちを浮かべていた。
「手の施しようがない」
 義母は気が触れたような剣幕で言い募る。
「何でも良いです、鍼でも灸でも。あ、いつか息子が発作を起こした時、先生が鍼を打って下さって、息を吹き返したじゃありませんか。今回だって、きっと」
 医師が覆い被せるように言った。
「あのときはまだ心ノ臓が弱っているだけで、死んではおらなんだ。だが、今は心ノ臓が完全に止まっておる。助けてやりたいのは山々じゃが、どうしてやりようもない」
 死んではおらなんだー、その部分だけがやけに重々しく聞こえた。義母は惚(ほう)けたように眼を見開いていたかと思うと、物言わぬハソンに取り付いて号泣した。
 その後ろで雪鈴は老医師から幾つか質問され、ハソンが急に発作を起こし、本人の言う通り常備薬を飲ませたことも話した。
「ああ、ハソンや、私の息子。お願いだから、眼を開けておくれ」
 しばらく声を上げて泣いた後、ハッとしたように面を上げた。
「あの、女。あの女だわ、息子を殺したのは」
 義母はユラリと立ち上がり、背後に座った雪鈴を憎しみを込めた眼で見下ろした。
「息子に何をしたっ」
 雪鈴はあまりのなりゆきに言葉もない。
 見かねた医者が取りなした。
「奥方、今し方、儂は若夫人から若さまが発作を起こしたときのことを聞いたよ。どうも、あまりに急な烈しい発作が生命取りになったようだ。若さまが頼んだ通り、若夫人は発作が起きたときの薬も若さまに飲ませている。それで、一時、気を失った若さまが意識を取り戻したそうだ。気の毒だが、それでも、若さまは救えなかった。発作が強すぎたんじゃろうて」
 暗に雪鈴に落ち度はないと言ってくれたのだ。だが、義母は到底納得しかねるという風情で、雪鈴に詰め寄る。
「そんなはずはない。先生、ハソンは今まで何度も発作を起こしたのに、死ぬことはなかったんですよ? なのに、この女が来てから大きな発作を起こして生命を落とすなんて、この女が息子に何かをしたに決まっているじゃありませんか」
 医師が今度は、はっきりと言った。
「良い加減にしなされ。若さまが発作を起こした直後の若夫人の行動は、何も責められるべきところはない。ちゃんと薬も飲ませてから、儂を呼びに来たのだ。若さまを突然失った哀しみは察するが、何の罪もない若夫人に当たるのは筋違いというものではないか」
 義母が瘧にかかったように、わなわなと身体を震わせた。
「ハソンをこれ以上、この不吉な女の側におけぬ」
 直ちに下僕たちがハソンの亡骸を母屋に運び去り、雪鈴は離れに一人残された。医者は気の毒げに雪鈴を見たが、内輪のことには立ち入れないと言葉を濁して帰っていった。
 けして広くはない室が今は妙にガランとして空疎に感じられる。雪鈴はハソンが座っていた場所にへたり込んだ。つい数時間前まで良人はここに座り、文机に向かっていた。
 現に文机にはまだハソンが書き残した書がそのままになっている。〝清鈴〟の二文字が記された紙片が文机に載っている。あの時、良人は何と言ったか。
ー最初は女の子が欲しい。もちろん、跡取りも必要だけどね。
 何ということだろう。ハソンは、良人は本当にいなくなってしまったのだ。しかも、やがては生まれるはずだった自分たちの娘のことを嬉しげに話しながら。
 自分たちはまだ真実、夫婦になっていなかった。むろん、ハソンがずっと元気で共に年月を重ねていたら、早晩、そうなっていたのは間違いない。愛していたわけではないけれど、ハソンは好もしく尊敬できる良人だったのだ。
 それにしても、妙だと今更ながらに思わざるを得ない。ハソンに科挙を受けないのかと問うた時、彼自身が自分は虚弱だと語った。しかし、雪鈴も孫家の両親もそんな話はいささかも崔家から聞かされていないのだ。
 雪鈴とハソンの婚約はもう十六年も前に親同士が決めたものだ。とはいえ、良人となる側に重大な持病があるなら、礼儀として相手側に伝えるのが常識ではないか。
 今日の義母と医者の会話から、ハソンが発作を起こしたのは初めてではないと知れた。それまでは健康な若者が不幸にして偶発的な発作で生命を失うことも有り得ると思っていたのだ。
 だが、ハソンは明らかに持病ーしかも心臓病らしいーを持っていた。雪鈴が嫁ぐまでにも、何度となく発作を起こし倒れ、しかも生命に拘わる大きな発作もこれが初めてではないらしい。
 崔家は明らかにハソンの持病を隠していた。これは明確なルール違反であり、孫家に対する裏切り、冒涜であった。盟友同士とはえ、実家の父が知れば、激怒するに違いない。
 けれども、ハソンはもういない。雪鈴は今更、実家にこのことを話すつもりはなかった。ハソンの持病を隠していたことで崔家を責めても、ハソンが生きる返るわけではないのだ。むしろ、優しい彼は哀しむだろう。
 たった五日間だったとしても、雪鈴はハソンの妻であり、彼とは夫婦であった。ハソンのためにも崔家の裏切りは自分一人の心にしまっておこうと考えたのである。