韓流時代小説 後宮に蝶は舞いてー結婚五日目に夫を失った少女雪鈴。彼女の激動の人生が今、始まるー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説  後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

 

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。


朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く

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  烈女婢

 とある都から離れた小さな町は、峻険な山に背後から抱かれるように広がっている。
 山には鋭く切り立った崖があり、ほんの少しの場所から誤って足を踏み外せば、たちまち千尋の谷に堕ち、生命を失うに相違ない。
 そのわずかな場所の片隅に、ひっそりと小さな碑(いしぶみ)が佇んでいる。既に幾星霜を経たささやかな表面には文字が刻まれているが、風雪に晒され、辛うじて判読できる程度だ。
 物言わぬ石碑は語る。
ー陽祖大王の御世、セサリ町に一人の烈女あり。名を孫(ソン)雪鈴(ソリョン)という。立ち姿、たおやかな白百合のごとく麗しく、百花はじらうほどの美貌なり。幼時に同町に棲まいする両班崔(チェ)夏善(ハソン)と婚約し、十六で嫁ぐ。しかれども、運つたなくハソンは嫁いで五日目の夜、頓死した。
 雪鈴は義両親に言われるまでもなく、良人の旅立ちを見送ったその十七日後、自害して果てた。後世まで讃えられるべき、まさに貞女の鑑なり。
 ここに希有なる烈女の生涯と功績を刻み、その最期を迎えた終焉の地に碑を建てるものなり

 と。
 雪鈴はセサリ町の後ろに聳える山から飛び降りたのだ。まったくもって、見事な最期であった。後に雪鈴の亡骸が崖下を流れる川沿いで釣り人に発見されたという。
 十六歳で逝った嫁を憐れみ、崔家の両親は都の王さまに懇願し、嫁の貞女ぶりを讃える石碑を建てることを許された。
 気が遠くなるほどの年月が流れ、わずか十六歳で逝った少女を憶えている者はいなくなった。
 ただ小さな烈女碑だけが雪鈴がこの世に存在した痕跡をわずかにとどめているだけだ。
 
   序章~最初の「死」~

 これ以上、もう一歩も前へ進みたくない。雪鈴は思った。けれども、今、ここで止まれば、我が身は間違いなく追いかけてきた男たちに捕まる。あやつらはまるで飢えた猛犬かのように雪鈴を執拗に付け狙い、追跡してくるのだ。まるで、主人に忠実な本当の猟犬のようではないか。
 いや、確かに、彼らはある意味、猟犬と呼んで間違いない。崔氏の義両親にどこまでも忠誠を誓う犬だ。
 いっそのこと、このまま倒れて永遠に目覚めることのない夢に入ってしまいたい。そんな誘惑に何度駆られたことか。
 しかし、その度に良人のー亡きひとの今わの際の言葉がありありと耳奥で蘇るのだ。
ー私に万一のことがあれば、そなたは実家に帰れば良い。操を立てて殉死しようなどと考えてはいけないよ。
 いや、正直に言おう。良人がわざわざ言い残さずとも、雪鈴は後追い自殺なんてするつもりは欠片ほどもなかった。
 確かに良人は優しい男だった。親同士が親しく、婚約が整ったのは良人が五歳、雪鈴が生後一ヶ月のときだ。互いに顔も知らずに過ごし、初めて対面したのが祝言の日だった。
 両班家に生まれれば、恋愛結婚など望むべくもない。親の決めた相手に言うがまま嫁ぐだけだ。婚姻は当人同士というよりは、家同士の結びつきをより堅固にするためだ。
 もとより、雪鈴も上流両班家に生まれたからには、誰もが辿る宿命を受け容れていた。一体、顔も見たことのない良人はどんなひとなのか? 嫁ぐ期待より大きな不安を抱え、生まれ故郷の南方の町を旅立ち、何日もかけて嫁いだ。
 婚家は北の小さな町で、もう何代も前から続いてきた名家であった。良人は十六の雪鈴より五歳年上で、優しい面立ちの貴公子だった。絶世の美男子というわけではないけれど、ほどほどに整った造作で、細やかな気配りもできる人だ。
 雪鈴は運が良かったのだ。雪鈴は優しい良人を前にしても、自分が少しも時めかないのを不思議に思った。雪鈴が大好きな恋愛小説では、大抵、女主人(ヒロイン)公は相手の男に時めきを感じていた。また、雪鈴よりも先に嫁いだ幼なじみたちも口を揃えて話していた。
ー婚約者のことを考えただけで、頬が熱くなって眠れなくなるの。
 その時、雪鈴は漠然と考えたものだ。
 皆、結婚する相手を前にすれば、恋愛小説のヒロインと同じなのだと。
 しかしながら、いざ実際に嫁いでみると、現実は違った。確かに良人はこの上なく優しく、知的で嫌みのない好青年だった。新婚早々、偉そうにふるまうでもなく、遠方から嫁した妻を労り、何かと厳しい義両親の前で楯となり庇ってくれる。
 恐らく。雪鈴には刻が必要だったのだろう。時間が経てば、親に定められた良人にも情が湧き、愛しく思えるようになったはずだ。ただし、良人には時めくことは一生涯なかっただろうけれど。
 ハソンは若い娘が一緒にいて、胸を焦がすようなタイプではなかった。穏やかな物腰で、声を荒げることさえない。隣にいれば安らげはするが、所詮はそれだけで、雪鈴にはどこか物足りなかった。
 しかし、今では、優しすぎる彼に物足りなさを感じた自分を何と薄情な妻かと詰りたくもなる。ハソンと夫婦として過ごしたのは、わずか五日であった。五日で永の別れをするなら、もっと彼を知ろうとすれば良かった。穏やかな物腰の下に、もしかしたら彼が隠していたかもしれない何かを見つけることができたかもしれないのに。
 けれど、今となってはすべてが後の祭りだ。どれほど理解したくても、当の良人はもうこの世にいない。