☆☆連載☆☆韓流時代小説 半月~月下に花はひらく
第5話
光王の出生の秘密の全貌が明らかに! 出会いから二年目で香花と光王は漸く結ばれる。。
☆これまでのお話☆
香花(ヒャンファ)は14歳。
早くに母を失い、下級官吏だったた優しい父と二人暮らしであったが、その父も病気で失った。
かつては名門として栄えたキム家であったが、今は没落の一途を辿るどろこか、香花に婿が見つからなければ、断絶になってしまう。
香花は没落した実家を建て直すため、高官の屋敷に奉公に出ることになった。 上流貴族の子どもの家庭教師として住み込みで働くことになったのだ。
だが、やがて、その屋敷の主人に惹かれ、恋に落ちる。。。
しかし、相手は愛妻を失い、いまだに忘れられず、二人も子どものいる男であった。
やがて、その男が怖ろしい国を揺るがす陰謀に荷担していることを知る香花。 それでもなお男を信じようとする彼女の前に、光王(カンワン)と名乗る美貌の義賊が現れる―。
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光王自身がそのことに気付き、長年苦楽を共にしてきた仲間たちに事を分けて話し、盗賊集団〝光の王〟を解散したのである。仲間が大切だからこそ、いつまでも盗っ人稼業ばかりをさせてはいられない、まだ引き返せる中に、真っ当な世界へ戻し、陽の当たる道を歩かせてやりたい―、それが光王の本音だった。
都の役人たちも愚か者ばかりではない。仮にいつか捕らえられた時、首領である自分はまだ良いとしても、〝光の王〟の手下たちまでもが斬首刑に処されてしまうことになれば、自分は悔やんでも悔やみ切れないだろう。光王には、そんな気持ちがあった。
むろん、光王はそこまで香花に語りはしなかったけれど、香花はあのひと言だけで、彼の真意を理解できた。自らのことも含め、仲間たちのゆく末をも考えた上で、彼は〝光の王〟を解散し、〝義賊光王〟であることを止めたのだ。
〝光王〟がふっつりと姿を消し、都に現れなくなってからというもの、様々な噂が飛んだ。〝光王〟は捕り物の途中の怪我が元で亡くなったとも、寄る年波には勝てず死んだのだとも言われたし、中には、ここらが潮時と都落ちしたのだと当たらずとも遠からずといった推測まであった。
〝光王〟が消息を絶ってからしばらくは都でも大がかりな捜索が行われていたものの、手がかりは一切なかった。元々、網の目のように張り巡らされた捜査網を巧みにかいくぐり、その姿さえ役人の眼には晒したことがないのだ。
半年後、国王自らの命で、〝盗賊光王〟の捜査は打ち切られた。
それから更に年月を経て、今になって、〝光王〟捕縛の命が下るとも思えない。しかし、ただ人である一介の行商人光王を都の身分もある両班が訪ねてくる理由など何もないのである。
香花はシニョンに改めて礼を言い、店を後にした。あまりに打撃が大きくて、自分がどこをどうやって歩いているのかも判らない。
まるで雲の上をふわふわと歩いているような当て処ない心もちだ。だから、往来の向こうから大きな荷を背負って歩いてくる大男とぶつかったときも、まるで上の空だった。
「おい、天下の往来で一体、どこに眼を付けて歩いてるんだ!?」
まだ若い男は赤銅色に灼けた貌を怒りに染めて凄んできたが、香花が心ここにあらずといった体でいるのを見て、勘違いしたらしい。
「チッ、頭がイカレてるのかよ」
舌打ちすると、吐き捨てるように言い、後を振り向きもせず去っていった。
「お嬢さん(アガツシ)、大丈夫ですか」
唐突に頭上から声が降ってきて、香花は漸く我に返った。その場に座り込んだままの格好でのろのろと顔を上げ、視線を動かして、相手を見上げる。
「どうやら、布を売り歩く行商人のようだが、あんな調子で商売ができるのかね」
男は呆れたように首を振っている。
見慣れた―少なくとも香花にはその時、そう見えた―端整な顔が自分を見下ろしている。
「光王?」
思わず叫んでしまった香花を、男が怪訝な表情で見返す。
そこで、香花は、相手が光王ではないことに気付いた。何故、その時、自分がその男を光王だと思ってしまったのかは判らない。
間近で見れば、男は光王とは全くの別人だ。第一、その男はどう見ても四十は超えているだろう。鐔広の帽子を被っていても、きちんと結い上げた髪の半ばは白くなっているのが見える。
ただ、光王には及ばないものの、この男も香花から見れば、かなりの長身だし、面立ちもどこか光王に似通っているのは確かではあった。殊に切れ長の眼許から整った鼻梁辺りは、光王を彷彿とさせる。
香花は緩くかぶりを振った。
いけない。光王のことばかり考えているから、こうして、ゆきずりの人を見ても、つい光王の面影を重ねてしまうのだ。
香花に声をかけてくれた男は手を差し出し、香花はその手に掴まって、どうにか立ち上がった。
「どこのどなたさまかは存じませんが、ご親切にありがとうございます」
丁寧に頭を下げると、男が形の良い眼を細めた。笑うと、眼尻に皺が寄るのも、この男が光王よりははるかに年配なのだと物語っている。
「いやいや、そのように改まって礼を言われるほどのことは何もしておりません。それよりも、お嬢さん、怪我はありませんでしたか」
気遣われ、香花は微笑んだ。
「こう見えても、丈夫なだけが取り柄なんです」
男は声を上げて笑った。
「これはこれは、なかなか面白いお嬢さんだ」
笑いながら彼は、香花に何やら差し出してくる。
「大切なものなのでしょう、失くしては大変ですよ」
あっと、声を上げそうになり、香花は慌てて口を押さえる。蒼色の小さな巾着に入った鏡は、つい今し方、シニョン老人から貰ったばかりのものだ。
「ありがとうございます、本当に失くしたら、大変なところでした」
香花が再び鏡を袖にしまうのを眺めていた男がおもむろに口を開いた。
「ところで、お嬢さんは光王という若者をご存じのようですね」
あまりにさりげなく切り出されたため、最初、香花は相手が光王の名をはっきりと出したにも拘わらず、何の警戒心をも抱かなかったほどだった。
「―あなたは」
香花の視線が男の全身を捉える。落ち着いた群青の衣服をすっきりと着こなし、玉の垂れ下がった鐔広の帽子を被ったその様は、どう見ても身分の高い両班に違いない。
―使道さまの客人なら、都でもそれなりの地位にある両班に違いないと町の皆で噂しているってことだ。
シニョンの科白が耳奥でこだまする。
光王の身許についてあれこれと訊ね回っている両班というのが、よもやこの男ではないのだろうか。
シニョンから聞いたばかりのその男の風貌が怖ろしいほど眼前の男と一致している。
「私」
香花は言いかけて、唇を噛みしめた。
相手を睨むように見据え、はっきりと言う。
「私は光王という人など、知りません」
それだけ言うと、軽く一礼し、逃げるように走り去った。
後に残された男の視線が背中に突き刺さってくるのを無言の中に感じたけれど、香花は走りに走った。早く、早く家に戻って、光王にこの男のことを知らせなければ。その一心で、走って村まで帰った。
が、もぬけの殻の家に戻って初めて、当の光王自身も町のどこかを歩き回って商いをしているのだと気付いた。
―私って、どこまで馬鹿なんだろう。
二人の住まいは村外れの小高い丘の上にぽつんと一軒だけ離れて建っている。もっとも、この村自体が全戸数合わせても十数戸程度で、広範囲に渡って民家が点在しているのだ。ゆえに、普段から親しく行き来している隣家の朴家でも、歩けばかなりの距離になるといった有様である。
なだらかな丘を貫く一本道の両側には草原がひろがっており、九月下旬の今、秋桜(コスモス)が秋の風に可憐に揺れている。
香花は質素な佇まいの家が見えてきたところで立ち止まった。九月末とはいえ、まだまだ日中は残暑が厳しい。町から小走りに駆けるようにして帰ってきた香花は、全身うっすらと汗ばんでいる。
こうしている今も、光王の身に何かあったらと考えただけで、泣きたくなってくる。
今このときになって、香花は漸く光王の気持ちが判った。以前から、光王は真顔でよく言っていたものだ。
香花の身が心配だから、家の中に閉じ込めて外には一歩も出したくない、と。
あの科白を聞いたときには、冗談ではない、自分は幼児ではないのだからと半ばその過保護ぶりに憤慨したものだ。しかし、光王の身に危険が迫っていると知った今は、香花もまた、かつての光王が考えていたのと同じことを考える。
大切な男を家に閉じ込めて、外には出したくない。どんな危険が待ち受けているかも判らない町へなど行かせたくない―と思う。
他人が聞けば、鼻で嗤って済まされるような他愛ないことなのだろうが、今、同じ立場に置かれてみて、香花は光王が心底から自分を心配してくれていたのだと理解できたのだった。
降り注ぐ陽差しはきつく容赦ないが、身の傍を時折、吹き抜けてゆく風はどこかひんやりとしている。その風の涼しさが、季節はもう秋なのだと告げているようだ。
風が吹く度に、薄紅色の秋桜がさわさわとかすかな音を立てて揺れる。潤んだ瞳に、香花の大好きな花の色が滲む。
香花は花の海に囲まれて、いつまでもその場に立ち尽くしていた。