韓流時代小説 月下に花はひらく~花は哀しみに震えてー燃えるような明善の口づけ、冷たい光王のキス | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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☆☆新連載☆☆韓流時代小説  月下に花はひらく

 

香花(ヒャンファ)は14歳。
早くに母を失い、下級官吏だったた優しい父と二人暮らしであったが、その父も病気で失った。

かつては名門として栄えたキム家であったが、今は没落の一途を辿るどろこか、香花に婿が見つからなければ、断絶になってしまう。
香花は没落した実家を建て直すため、高官の屋敷に奉公に出ることになった。 上流貴族の子どもの家庭教師として住み込みで働くことになったのだ。

だが、やがて、その屋敷の主人に惹かれ、恋に落ちる。。。
しかし、相手は愛妻を失い、いまだに忘れられず、二人も子どものいる男であった。
やがて、その男が怖ろしい国を揺るがす陰謀に荷担していることを知る香花。 それでもなお男を信じようとする彼女の前に、光王(カンワン)と名乗る美貌の義賊が現れる―。

 

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 香花が光王の腕の中で絶望的な想いになった時、女将の声が響いた。
「お役人さま、その手配状に書かれた娘なら、確かにここに寄りましたけど、もう一刻も前に出てゆきましたよ」
「うむ、女将。それで、その娘は小さな子どもを二人連れていたか」
「ええ、一人は女の子でもう一人は男の子でした」
「どっちに行ったか憶えてはおらぬか?」
「ええ、ええ、そりゃあもう、よく憶えていますよ。いかにもいわくありげな一行でしたからねえ。こんな町外れの酒場に両班の―しかもうら若い娘が来るなんて、再々あるどころか滅多にありませんよ。確か西の方に向けて行きましたけど」
「ありがたい、礼を言うぞ」
「その中(うち)、また、ご贔屓にお願いしますよ、旦那」
 女将の甲高い声に見送られ、役人の走り去る気配が聞こえた。突然の役人の登場で静まり返っていた酒場が再び喧騒を取り戻す。
 しばらくしてから、漸く光王の唇が離れた。
「もう良いだろう」
 光王はまるで何事もなかったような平然とした様子だ。
 香花はトクトクと心ノ臓が煩くなっているのを光王に聞かれはせぬかと気が気ではない。
 先刻、彼に唇を奪われたときは随分と愕いたものの、今はそれが役人の眼を眩ますためのものだと理解できた。
「光王、この酒場の女将さんは―」
 物問いたげな香花の視線に、光王が肩をすくめた。
「ま、ちょっとした知り合いだ」
 何か割り切れないものを感じていると、独特の金属質な声が響く。
「旦那、何とか上手く難を逃れたようで、良かったね」
 見れば、女将が盆を抱えて立っている。
 歳は三十代半ばくらいで、光王よりは十は上だろうが、なかなか色っぽい中年増だ。いわゆる世間でいう美人というのではないが、細くつり上がった一重の眼はすっと切れ上がり、独特の色香を含んでいる。眼尻の下の小さな黒子がまた余計に女将を色っぽさく見せている。
「止せよ、旦那だなんて、ついぞ呼んだこともないくせに。そんな風に呼ばれたら、背中がむず痒くなってくる」
 光王が屈託なく笑いながら言い、女将も〝それもそうだね〟と笑った。
 その時、香花は確かに見た。
 女将と光王の視線が一瞬、絡み合い、離れたのを。そのまなざしを交わす様は、まさしく情を交わした男女のみに通じ合う特別なものだ。崔家に仕えるまでは男女のことは何も知らない香花であったが、初めての恋を経て、少しはそういった機微も理解できるようになった。
「あの―、助けて頂いて、ありがとうございました」
 香花がおずおずと礼を述べると、それまでにこやかに笑んでいた女将の眼が僅かに険を孕む。一重のつり上がった眼がじいっと香花に注がれた。
「たいしたことはございませんよ。あたしと光王は古くからの知り合いで、満更、赤の他人ってわけじゃないものですからね。光王の頼みとあれば、ひと膚でもふた膚でも脱ぎますよ」
 どこか挑むようなまなざしと口調に、香花は居たたまれなくなる。窮地を助けて貰ったとはいえ、どうして、自分がこの女にこのような挑戦的な物言いをされないと駄目なのか。
 割り切れない気持ちでいると、背後からポンと肩を叩かれた。
 振り返った先には、隣で酒を酌み交わしていた二人連れの片割れが立っている。
「お嬢さん、女将の言うことなんざ、気にすることはねえよ。女将は何せ光王とは何度か寝た間柄だからな、あんたに灼いてるのさ」
 陽に灼けた浅黒い膚が精悍な印象を与える男だ。男前とまではいかないが、なかなか整った容貌をしている。そのいでたちからして、職人だろうか。
「おい、慈温(ジヤウォン)、止めろ」
 光王が不自然なほど大きな声で叫んだ。
「―寝た?」
 言葉の意味が判らず不思議そうに眼をまたたかせる香花を見て、ジャウォンと呼ばれた男が大笑いした。
「こいつは良いや。光王、今度の情人(いろ)はやけに乳臭い小娘だな。お前の守備範囲もいよいよひろがったってわけか?」
 光王は憮然としてジャウォンを物凄い眼で睨むと、プイとそっぽを向いた。
 香花はそれから女将に案内され、座敷に上ががった。座敷といっても、ちゃんとした一戸建ての独立した建物で、判り易くいえば、離れのようになっている。部屋は一つだけで、小さいながらも箪笥や棚まで据え付けられており、きれいに整えられていた。これも女将の人柄だろう。
 既に桃華と林明は薄い粗末な夜具にくるまり、深い眠りに落ちている。
「どうぞごゆっくり」
 いささか無愛想にも思える声で言った女将がつと立ち止まった。
「良い気にならないでね」
「―え」
 香花が首を傾げる。
「光王はあまりに複雑なものを背負い過ぎてる。到底、あんたのような世間知らずの両班のお嬢さんが相手できるような男じゃない。あいつには忘れられない女がいるんだよ。その女じゃなきゃ、駄目なのさ」
 つまり、ただ一人のその女以外なら、あの男にとっちゃ、女なら誰でも良い、どうでも良いってこと。
 女将は投げやりに言うと、急ぎ足で出ていった。
―お前、俺が昔、惚れた女に似てるんだ。だから、かな。お前から眼が離せなくなっちまったのは。
 そういえば、いつか光王自身がそんなことを言っていた。〝兄〟と称して崔家の屋敷まで逢いにきたときの話だ。
 女将の言う〝忘れられない女〟というのが、光王の言っていた女なのだろうか。
―そんなの、どうだって良いじゃない。
 香花は自分に言い聞かせる。
 光王には確かに、今回、助けて貰った。でも、ただのそれだけのことで、香花が光王に特別な感情を抱いているわけでもないし、ましてや、その逆なんてこともあり得ない。
 光王は〝義賊光王〟なのだ。ただ困っている香花を見棄てるのに忍びなかっただけだろう。
 なのに、何故、光王の忘れられない女というのがこんなにも気になる―?
―私が好きなのは、明善さまただ一人のはずなのに。
 自分の中で光王の存在がどんどん大きくなってくることに、香花は怯えた。
 女将が用意してくれた薄い夜具に身を横たえ、掛けふすまを顎まで引き上げながら、香花は無意識の中に手のひらでごしごしと唇をこすった。
 しんと冷たい光王の唇の感触が今もここに残っているようだ。明善の唇を受け止めた時、その唇は燃えるように熱かったのに、光王の唇はまるで氷のように冷え切っていた。
 多分、それは香花に対する二人の男の気持ちの相違だろう。
 でも、どうして、自分はそんなことを気にするのか?
 想いを巡らせている中に、いつしか香花は深い眠りの底に沈んでいった。