☆☆新連載☆☆韓流時代小説 月下に花はひらく
香花(ヒャンファ)は14歳。
早くに母を失い、下級官吏だったた優しい父と二人暮らしであったが、その父も病気で失った。
かつては名門として栄えたキム家であったが、今は没落の一途を辿るどろこか、香花に婿が見つからなければ、断絶になってしまう。
香花は没落した実家を建て直すため、高官の屋敷に奉公に出ることになった。 上流貴族の子どもの家庭教師として住み込みで働くことになったのだ。
だが、やがて、その屋敷の主人に惹かれ、恋に落ちる。。。
しかし、相手は愛妻を失い、いまだに忘れられず、二人も子どものいる男であった。
やがて、その男が怖ろしい国を揺るがす陰謀に荷担していることを知る香花。 それでもなお男を信じようとする彼女の前に、光王(カンワン)と名乗る美貌の義賊が現れる―。
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「あなたが何で、こんなところにいるのよ?」
「相変わらず口の減らない女だな」
光王が不敵な笑みを浮かべる。
「それはお互い様でしょ」
プイとそっぽを向くと、光王は声を上げて笑った。
「そうそう、その調子。お前がへたれてたら、俺まで調子が狂っちまうからな」
その時、香花は光王がわざと自分の気を引き立てようと邪険な物言いをしたことに気付く。
「色々と大変だったようだな」
光王がじみじみとした声音で言う。こんな風に労りをはっきりと見せる彼は初めてだ。
「女将に金を渡しておいた。お前だけでなく、そっちの子ども二人もかなり疲れてるようだ。少し座敷で眠らせてやった方が良い」
「ありがとう。光王」
素直に礼を言う香花に、光王は〝珍しいこともあるもんだ〟と肩をすくめている。
桃華と林明が女将に連れられて座敷に行った後、光王がずいと身を乗り出してきた。知らない人が見れば、二人が恋人同士か夫婦だと勘違いするほどの至近距離だ。
膝頭が触れそうな場所に迫ってきた光王から、香花は本能的に身を退いた。
嫌が上にも、昨夜のおぞましい記憶が甦る。
三人の男に力ずくで押さえ込まれ、陵辱されそうになったあの出来事は、香花の心に拭い去りがたい傷を与えていた。
大きな手のひらが肩に乗せられた。
ピクリと、華奢な身体が跳ねた。
「―どうした? 気分でも悪いのか」
気遣わしげな声。
香花は小さく震えながら、また後方へと身を退く。
「手、放して欲しいの」
辛うじて言うと、光王が怪訝な表情で手をひっこめた。
「お前―、何かあったのか?」
心配そうに問われても、何も応えられない。三人がかりで男に乱暴されそうになっただなんて、そんな屈辱、口に出せるはずがない。
光王がスと手を伸ばし、香花の手を握った。咄嗟に香花は大きな手から自分の手を引き抜いた。
「いやー!」
そのあまりの狼狽え様、怯え様は尋常ではない。香花は高熱に浮かされているように烈しく身を震わせ、蒼褪めていた。
彼が香花の反応を見るために、わざと手を握ったのだと知るはずもない。
光王の眼がわずかに眇められた。
「男だな。―乱暴されたのか?」
香花が大きな眼を見張った。
「まさか、違うわ。違うに決まってるじゃない。何もあるわけないでしょう」
その取り乱しぶりが何よりの肯定だとも知らぬまま、香花はムキになって首を振り続けた。
「判った。もう何も訊かない」
光王がやけにあっさりと引き下がり、香花は所在なげに視線をさまよわせた。
「これからどうするつもりなんだ」
突然、話題が変わる。香花は顔をうつむけたまま、緩く首を振った。
「判らない。自分でも、どうすれば良いか判らないの」
「とりあえず、都から一刻も早く出た方が良いぞ」
予期せぬ言葉に、香花は即座に言い返した。
「まさか。私は都を離れるつもりはないわ」
「どうしてだ? 今、お前たちにとって都が危険なのは判っているだろう」
香花は唇を噛みしめる。荒れているのか、上唇がささくれ立ち、血の味がした。
「旦那さまを残して、行けない」
「お前はあの男から頼まれたんじゃなかったのか? だから、厄介なことも承知で、二人の子どもを連れて屋敷を出たんだろう」
香花は頑なに口を引き結ぶ。
「惚れた男の最後の頼みを無視するつもりか? このまま都にいたら、あいつの子どもらは捕まって、巻き添えを食らうぞ」
光王が怒鳴った。その剣幕に、周囲の客がざわめき、光王と香花をちらちらと窺う。
その言葉に、香花は敏感に反応した。
「判ってる、判ってるけど―」
不覚にも涙が滲み、堪え切れなかった。
こんな男の前で涙なんて見せたくないと思うのに、どうしても泣けてくる。
「―酷なことを言うようだが、どうせ隠しておいても知ることだ。香花、崔明善が今日の昼過ぎに処刑されるらしい。罪状は大逆罪、明善の二人の子どもやお前にまで捕縛命令が出ている。見つけ次第、捕らえて首を刎ねろという王命が出てるぞ」
「―そんな、馬鹿な。桃華さまや林明さまには何の罪もないのに」
そのときだった。
客の間でどよめきが起こった。
「何だ、どうしたんだ」
先刻の二人連れがしきりに後方を気にしている。
眼前の光王が全身に緊張を漲らせるのが判った。光王の纏う空気が一変する。研ぎ澄まされた刃のような危うい閃きがその瞳の奥底で瞬く。
次の瞬間、香花は自分に何が起きたのか判らなかった。光王が突如として香花を引き寄せ覆い被さってきたのだ。
冷たいしんとした唇が押しつけられ、息もできないほど狂おしく口付けられる。
昨夜の出来事が脳裡を駆けめぐり、混乱状態に陥りそうになったが、大きな手のひらにあやすように背を撫でられ、少しだけ落ち着いた。
「チッ、手配中の女によく似た娘をここいらで見かけたって通報があったんだが、何だ、男連れじゃねえか。おい、そんな話聞いてねえな」
いつしか役人が傍らに立って怒鳴っている。
「ああ、子ども連れとは聞いてるが、男連れだとは聞いてないな」
相棒らしき男が頷く。
ウィギルの機転で折角兵の眼を逃れられたのにここで見つかってしまったら、万事きゅうすだ。覚悟するしかないのだろうか。